リアホナ2008年12月号 アウトリーチセンターへようこそ!

アウトリーチセンターへようこそ!

教会の敷居を低くし,広く手を差し伸べる──九州・沖縄での取り組み 

教会の敷居を低くし,広く手を差し伸べる──九州・沖縄での取り組み 

アウトリーチセンター。福岡ワードの玄関を入り廊下を進むと,奥まった一室の扉にその表示がある。開館時間─月曜~金曜,午後5時から9時。土曜,正午から午後9時。扉を開けるとそこは家庭のリビングのようなくつろげるしつらえだ。ソファー,靴を脱いで座れるカーペット,ルームスタンド,壁に大きな飾り扇まで掛けられている。YSA年代の兄弟姉妹が三々五々集まって来る。迎えてくれるのは夫婦宣教師のヒーリーご夫妻。「どうぞゆっくりしてください。ソファーで寝ていてもいいですよ」とヒーリー長老。ヒーリー姉妹はまるで母親のように親しげに,英語と片言の日本語で若い人とあいさつを交わす。

ソファーに座って本を広げる人,座卓を囲んで相談を始める面々,ギターをつま弾く人……思い思いに過ごしている様子はクラブやサークルの部室のようでもある。

2007年2月のこと,チャーチニューズ(教会発行の週刊新聞)を読んでいた福岡伝道部のデビッド・B・岩浅会長は,「Outreach Centers」と記された一つの記事に目を留めた。── 十二使徒のヘンリー・B・アイリング長老は,かねてより若い世代へ伝道し次世代を育てるようチャレンジしていた。岩浅会長は当時,そのために何をすればよいか探し求めていたのである。

アウトリーチとは,外へ手を差し伸べることを意味する。各地のインスティテュートハウスにアウトリーチセンターを併設し,そこへ教会員であるなしを問わず“手を差し伸べて”若い人たちを招く。センターには夫婦宣教師が常駐し,若い人を見守り,活動を助けたり相談相手になったりする。ここを拠点に楽しい活動をしたり,その場で自由に時間を過ごしたりできる。宣教師や友人に誘われて来た教会内外の若い人がここで過ごすうち,自然な形で教会員と友人になる。教会員でなくともインスティテュートに登録する人もいる。

アウトリーチセンターは,ドイツに始まりヨーロッパ中央地域で広まった取り組みである。ヨーロッパの教会における問題は,高齢化で教会に若い人がいない,若い改宗者が少なく,2世・3世の定着率も良くない,若い人のためのプログラムがなく,インスティテュートの登録も少ない,結婚年齢も遅くなる……「日本にも似たような問題があります。」(岩浅会長)

ドイツ・イタリア・フランスなど,現在ではヨーロッパ17か国で60か所のアウトリーチセンターが設置され,若い人への伝道・結婚・再活発化などに一定の成果を挙げている。── 記事を読んだ岩浅会長は霊感を感じ,つてを頼ってアウトリーチセンター運営のガイドラインをドイツから取り寄せた。それが日本におけるアウトリーチセンターの始まりだった。

2007年夏,岩浅会長から福岡伝道部内のステーク・地方部会長会へ提案がなされ,賛同した地元神権指導者との二人三脚で各地にアウトリーチセンターが設置された。2007年9月の福岡を皮切りに,2008年2月には熊本,5月に長崎,沖縄,6月に大分,9月には鹿児島へと広がり,2008年11月には宮崎にも開設された。

「奇跡でした」と岩浅会長は振り返る。アウトリーチセンターを設置するには夫婦宣教師の赴任が必須である。しかし夫婦宣教師は常にどの伝道部も求めているし,いつ,だれが赴任して来るかは伝道管理部から連絡が来るまで予測がつかない。そうした矢先,夫婦宣教師のアンダーセンご夫妻が福岡伝道部へ赴任して来た。「とても朗らかで若い人を愛している。積極的で,性格的にも適任でした。」次いでプリズビーご夫妻が赴任。「元アイダホ大学教授で,若い人と働くのが大好きです。」今年の春にはヒーリーご夫妻と嶋田ご夫妻が赴任し,4組もの夫婦宣教師が立て続けにやって来た。「いつも問題にぶつかったとき,神様から導きがあって道が開かれてきました。」(岩浅会長)

安全な居場所

若い人の居場所をつくることからアウトリーチセンターは始まる。それは単に家具やカーペットを配置することではない。雰囲気という,形のないものを作ることである。アウトリーチ宣教師として長崎で働く嶋田ご夫妻はこう語る。「ゆったりとして拘束しないということが居場所を作るこつですよね。いつもにこにこしたおじいちゃんおばあちゃん(夫婦宣教師)がいて,ゆったりとして,お菓子も用意してある,我が家に帰ってきた雰囲気で好きに過ごしていい,という。2世の人だったら分るでしょう。教会へ行きなさい行きなさいと(うるさく)言われて行くのじゃない,自分たちが楽しければ(自然と)行くんですから。」ここには遅刻という概念もない。嶋田長老は,アウトリーチの活動では決められた開会時間に(教会の定例集会のようには)あまりこだわらない。家族での家庭の夕べのように,人の集まり具合を見て「そろそろ始めましょうか」と,ゆるやかなものである。大分では,仕事のわずかな休憩時間にアウトリーチセンターに駆け込み,ほんの少しだけ過ごして職場へ戻って行く新会員もいる。福岡ステークの恩田豊会長は,ステークの羊を守り養う立場から語る。「YSAの兄弟姉妹たちが空いている時間に,(誘惑の多い)天神(福岡の繁華街)に行って遊ぶよりは,教会のアウトリーチセンターという(安全な)場所に集まったほうが良い。そこに夫婦宣教師がいる,プログラムがなくてもそこに来る,彼らが集まれる場所があるということを一つの目的として,アウトリーチセンターをスタートしました。」

次世代を育てる

嶋田ご夫妻はMIA(相互発達協会)で育った世代である。1950年代から60年代にかけて,毎週木曜に独身者が集い,コーラス,ダンス,演劇など自分たちで企画した活動に打ち込んだ。そこで友人を得たり,結婚に至るカップルも生まれたりした。「活力があって,楽しかったんです」と嶋田ご夫妻は郷愁を込めて振り返る。「でも今のYSAの活動というのは実質的にお休みのところが多いですね。代表は召されているけど,月に1回集まって皆でご飯を食べるとか,その程度で。」現在では全国的にも,YSAカンファレンスやCESファイヤサイドといった催しの際に活動するだけで,いわゆるMIAのような活動を毎週のように継続しているユニットはほとんどない。だから長崎にアウトリーチセンターが開設されたとき,リーダーとなったYSAたちには戸惑いがあった。「長い間そういう活動に自分たちで参加していなかったというのがありますよね。やりなさいとぽんと言われても,何をやっていいの?と。」嶋田ご夫妻の助言を受け,話し合いを重ねつつも,しばらくは迷走が続いた。YSAアウトリーチリーダーの岡稔宏兄弟と辻郷茜姉妹は,3か月目を迎えてようやく「波に乗りつつあります」と話す。「何せ自分が楽しくなったし,雰囲気も良くなりました。」(辻郷姉妹)それは活動を通じてお互いをよく知り親しくなったことが一つ。もう一つは,「自分たちが中心になってプログラムを考えるようになったから。指導者からああしろこうしろ言われたら楽しくないですよね。MIAが楽しかったのは,何もないところに自分たちで作り上げる醍醐味があったからです。」(嶋田長老) MIA世代の豊富な経験をもって,若い世代が自主的に活動するのを見守り,助け,時には若い指導者をトレーニングする。こうして次世代が育てられ,そこから伝道に赴く人や結婚に至るカップルも生まれる。この9月には沖縄のアウトリーチセンターで,専任宣教師になる7人の兄弟姉妹の壮行会が行われた。

夫婦宣教師の愛を感じて

夫婦宣教師の愛を感じて

アウトリーチセンターの成功の秘訣は夫婦宣教師を配置したところにある,と嶋田長老は言う。「世話役がいると運営が安定しますからね。(若い会員数の多い少ないはあっても),週6回あるいは2回開くということはそれなりのエネルギーが必要です。そういう点をサポートする人は必要かもしれません。」

しかし夫婦宣教師は,単に活動を継続する技術やマンパワーの側面を助けているだけではない。熊本ステークの田代会長はこう評価する。「皆がプリズビーご夫妻を尊敬している,愛している。プリズビーご夫妻から皆が愛を受けている。そして多くの会員の心をつかんでいる。それが成功の秘訣の一つです。」夫婦宣教師がその場の雰囲気を作る重要なキーパーソンとなっている様子が伺える。「若者の一人一人に焦点が合わされ,大切にされていると感じます。一つのプログラムではあるけれど,それよりも人,人がいちばんという感じを受けています。青少年に目標やあこがれができて,青少年からYSAへ上がりやすい環境になりました。今まで人がおらず暗かった教会がいつも電気のついている明るい場所になりました。YSAの中に愛と一致,いたわりが見られます。争いがまったくない。どんな人でも受け入れています。」(田代会長)

アウトリーチセンターが,愛の感じられる安全な居場所となることで,教会から足の遠のている会員,日曜日に教会に集うのは敷居が高いと感じている若い会員を招く受け皿にもなっている。

ある会員は,夫婦宣教師の訪問を受け,アウトリーチセンターへ招かれた。彼はそれに応じて教会へ足を運び,また夫婦宣教師に個人的な悩みを相談するようになる。親身になってくれた夫婦宣教師との交流を通して,あたかもリハビリテーションを受けるような時期を経て,今,彼は再び日曜日に教会へ集うようになったという。

楽しい活動

ヒーリーご夫妻も嶋田ご夫妻も,楽しい場所を作ることにことのほか心を砕いている。楽しいということには幾つかの側面がある。ゲームやスポーツなど活動自体の楽しさ,そこに友達がいることの楽しさ。そして霊的な意味での楽しさ。恩田会長はこう話す。「楽しい活動と霊的な活動というのはバランスですよね。そのバランスを保つのが理想,でもスタート時点では楽しくていいのではないでしょうか。人生の目的は喜びを得るため。喜びというのをどう見るかですよね。友人がいるから楽しいからというのがどこで霊的な喜びに移行するのか分らないのではないですか。スタート時点は楽しいところから入って,いつの間にか霊的なところに喜びを見いだした,っていうような。そこが壁で仕切られているのではなくて,(虹の色が移り変わるように)気がついたらこちら側に移っていたというような。教会も組織もプログラムも人も,すべてそんな形ができたらいいかなと思っています。」

伝道・定着

宣教師としての視点から,嶋田長老はアウトリーチセンターの持つもう一つの側面を語る。「すごくやりやすい,敷居の低い一つの伝道の方法だと思います。だれでも友達をここに連れて来ればもう伝道ですからね。教会員が宣教師に友達を紹介するのは抵抗があるかもしれない。家庭の夕べに友人を招待してくださいと言われてもできる家族とできない家族がありますよね。でもここ(アウトリーチセンター)に連れて来るだけだったら大丈夫。楽しいからおいで,自分も楽しいからと言えば,連れて来やすいでしょ。だれでもできる伝道方法,宣教師もフォローしますしね。熊本とか福岡ではそれが成功しています。会員が友達を連れて来るから,ほとんどファインディングをしなくてもアウトリーチの中から求道者を見つけたと聞いています。」

熊本での事例を田代ステーク会長は紹介する。「一人の帰還宣教師が友だち(F君)をアウトリーチに誘いバプテスマを受けました。そのF兄弟が友達(K君)をアウトリーチに誘いK君もバプテスマを受けました。K君が友達(S君)をアウトリーチに誘い彼もバプテスマを受けました。今,S君は『バプテスマを受ける友達を見つけたい』と言っています。」

アウトリーチセンターでの触れ合いを通じて訪問者あるいは求道者と教会員が自然と友達になれば,それは結果的にその人が改宗した際の定着を大きく助けることにつながる。「求道者と会えるので自然と交わりやすい。顔見知り程度の人でもアウトリーチで一緒に過ごすことで次に教会(安息日)で会ったときに話しやすい」と熊本のYSAは話す。ある姉妹宣教師は,「(求道者が)宣教師の話ではなく同世代の会員の(身近な)経験をレッスンのときから聞くことができるのはとてもいいです」と言う。YSAが求道者のレッスンに同席する機会も増えているようだ。それはYSA自身の成長の機会でもある。

またある新会員は,仕事の関係でなかなか安息日に教会へ集うことができなかった。しかし彼は週日にアウトリーチセンターへ足しげく通うことで教会とのつながりを保つことができた。実家の母親は,息子が良い方向に変わったのを見てその理由を尋ねた。すると彼は実家の最寄りの教会へ行ってみるよう母親に勧める。その結果,母親も改宗することになり,彼は帰省して母親にバプテスマを施したのだった。今,彼は退職して伝道に出ることを考えているという。

人の価値

アウトリーチセンターとは,無理をして支える一過性のプロジェクトではなく,日常的に持続可能なものでなければならないと恩田会長は強調する。「もう教会の指導者はイベント屋さんから脱却しないといけないと思います。アウトリーチセンターが毎日何かやらなくてはいけないという意識の中で,プログラムを追って行ったら,多分これは(一過性の)プロジェクトとして終わってしまうでしょう。プレッシャーを感じて疲れて燃え尽きてしまう。

だからこうあるべきとか,べき論で物事が進んでいったら,きっと人間が中心にならなくなってしまう。安息日は主の日ですよね。でも人のためにもあるような,そんな感じにアウトリーチセンターがなれたらいいと思っています。」

熊本のYSAたちはこう話す。「来ない人は来ない。来る人は楽しんで来る。」「自分は月に1回程度しか参加できていません。参加した方がいいとは思うけれど,しなければならないという義務感はまったくないし,すべて(の活動)に出る必要はないと思っています。」

もちろん多くの人が参加するに越したことはないし,実際大きなユニットでは毎回かなりの人数の参加がある。その一方で,大分のアウトリーチセンター担当ワード宣教師の岡田ご夫妻はこう話す。「大分は福岡や熊本とは違った方向を向いていると考えています。大人数の所のようにはいきません。一人でも二人でもいい,新会員・求道者に焦点を当てて教会になじめるようにというつもりでやっています。」

恩田会長も言う。「(参加者が)たくさん集まっているからすばらしいというのではなくて,もっとほかの評価基準を持っていなければならないと思っています。実際問題として福岡では,火曜日はあんまり人が集まっていなかったので,夫婦宣教師が映画の夕べを企画したんです。(曜日によっては)全然来ていないという現実もしょうがない。一人でも来てくれたら……そういうスタンスをステークとしては持っています。99匹の羊を残して1匹の羊を探すというイエス様のスタンスから言えば,たとえその日一人しかアウトリーチセンターに来なかったとしても,その子が天神かどこかで誘惑を受けるよりは,夫婦宣教師のもとで時間を過ごしたというだけで将来的には

良かったのではないか。だから数で評価するよりも,思いの部分で評価できたらいいと思います。『人の価値が神の目に大いなるものであることを覚えておきなさい。

……一人でもわたしのもとに導くならば,わたしの父の王国で彼とともに受けるあなたがたの喜びはいかに大きいことか。』

(教義と聖約18:10,15)人の価値を考えたときに,アウトリーチセンターが彼らにとって自分の居場所だったという思いがわいてくるならばそれが成功ではないか,またその一人のために携わった宣教師や若者たちにとっても良い思い出になるのではないか,と感じています。」

10年先を見据えて

福岡伝道部内にアウトリーチセンターが開設されはじめて1年あまり,「まだまだ手探りの状態です」と言いながらも,恩田会長にはまだ見ぬ将来へのビジョンがある。

「ステークとしては,たとえば夫婦宣教師が赴任しなくなっても,ステークが自給自足で運営できるようになれれば,と思っています。」今後,定年退職を迎える世代のご夫婦の奉仕の場としてアウトリーチセンターを活用したいという。例えば6組の地元のご夫婦が毎週1回ずつアウトリーチセンター担当ワード宣教師として奉仕する。

「(ユタ州などでは)神殿があるから,リタイアされた方々は毎日でも神殿で奉仕できるけれど,日本では神殿がどこにでもあるわけではないですね。そういう場合にアウトリーチセンターという奉仕の場があったら……若者と接するのは楽しいですからね,高齢者もいきいきして……。将来的なビジョンとしてはそういうものをイメージしたいのです。」

日本の社会,ひいては日本の教会が高齢化社会という新たな時代を経験するに当たり,「これからは若者の受け皿だけではなくて,シニア世代の(奉仕の場という)受け皿も教会は提供していかなくてはいけない。そのとき(若者とシニア世代の)お互いのニーズを(アウトリーチセンターという)一つの場所で満たしてあげるというのが解決策の一つかな,と思っているんです。

現実問題としてはいろいろ解決していかなければならない問題はあります。でも企業も10年続けばある程度つぶれずに存続しますから,アウトリーチセンターも,1年や2年で評価するプロジェクトで終わらせたくない,という思いがありますね。

教会が,社会の中の一つの存在として開かれたものとなるためには,何だか分らないけどちょっと教会行ってみようか,という形で覗ける場所があったらいい。そういう意味でアウトリーチセンターが,(文字どおり)外に手が届くようなものになれたら,と思っています。将来的にはオープンハウスみたいな,いつでもだれでも来られるようなスペースになれたらいいと思います。プログラムがあるのではなくて,そこに場所と人がいるというのが心のよりどころになってくれたらと。(アウトリーチセンターで育っている)今の若い人たちがビショップやステーク会長になるころにはできるかなと思いますけれどね。」◆