リアホナ2007年3月号不完全であっても,できるだけのことを──踏み迷った息子の帰還──

不完全であっても,できるだけのことを──踏み迷った息子の帰還──

親はだれしも我が子が安息日には教会を選び,時期が来たら宣教師として伝道に出てもらいたいと願っている。しかし親として精いっぱいのことをしても,時に子供は道をそれて行くことがある。そのとき,わたしたち親には何ができるのだろうか。

山本兄弟※は学生のころ宣教師と出会い,改宗こそしなかったがモルモン書を読んで,この本は真実だと感じた。その後結婚を間近に控えたとき,「人の考えだけでは幸せな結婚生活も子育てもできない」と思い教会の門を叩く。そしてバプテスマを受け,婚約者に伝道し改宗に導いて東京神殿で神殿結婚をした。

やがて二人は男の子を授かる。生まれてきた息子を見て山本兄弟は「こんなにかわいい子を頂いてこれ以上ほかに望むものはありません」と主に祈った。

できるだけ定時に帰るようにしたが,仕事が忙しかったのと通勤時間が90分ほどかかるのとで,子供をお風呂に入れてやれないこともあった。しかし常に夫婦で協力し話し合って子育てに力を入れた。教会の教えに従って子どもに接してやれればいいと思っていた。しかし自分自身に親との確執があり,いろいろな思いを抱えながら子育てをしていたので,理想どおりにはいかないこともあった。

ヒンクレー大管長から勧告された『6つのBE』を聞いた山本兄弟は子供の教育にも力を入れた。小中学生のころは返ってきたテストに目を通した。定期テストの前には一緒に勉強のスケジュールを立て,それにのっとってテストに備えるよう励ました。中学校に入って英語を学び始めると,語学力を生かして発音の特訓をした。すべて子どもの将来のために取り組んできたことだ。そして息子も期待にこたえてくれた。教会に関しては,しばしば自分の経験を基に証を話して聞かせ,安息日の部活は休むように教えた。家庭の夕べ・家族の祈り・聖典学習・セミナリーなどもできるかぎり行うように努力した。家族と過ごす時間も多く取った。

離れてしまった心

何の疑問も持たずに親に連れられて教会に行く時期が終わり,自我の芽生える中学生のころから親子の間に微妙なずれが生じ始めた。子供のためにと一生懸命していることを長男は逆に「うるさい」と感じ始めたのだ。「長男がしっかりしてくれたら弟もそこそこいってくれるだろうなと期待はしていましたから,そのプレッシャーは長男にあったかもしれませんね。」──当の長男は,「中学校に入ったころから,友だちもいないし教会がつまんないなぁって思うようになりました。定期テストの度に2回くらいは勉強があると言って教会を休んでいました」と言う。しかし親に本音は言えない。

家庭学習セミナリーは父親から学び,福音の知識も得ていた。教会に通い,身なりもきちんとしていた。「長男は反抗期っていうのはあんまりなかったです」と言う山本兄弟の言葉に奥様は,「教会に行きたくないなんて言えるような雰囲気ではなかったですね。厳しかったから。」子供にとって父親は自身が思うよりもずっと怖い存在だったようだ。

「高校に入ってからわたしは親に黙って女の子と付き合ったんですよ。父親から気持ち的に離れたというか,よそよそしくなったと後から父親が言っていました。」そうして長男はいつしか誘惑に抗し切れず標準を外れるようになった。「でも(教会に)行かなくなったら,どうしたんだって言われるから教会にはとりあえず行っていました。」葛藤を感じながらも彼の心は教会から大きく離れていた。

山本兄弟は半年に1,2度,神権面接として息子との時間を特別に取るようにしていた。必要に応じていろいろなことを話して聞かせた。思春期に入るころになると男性は,性的な面での誘惑が大きくなる。それをよく理解していた山本兄弟は純潔の律法についてもしばしば話した。「交際について何度も父から尋ねられましたが,教会を信じているわけでもないし,女の子と過ごす時間が楽しかったので『そんなことはない』と高校3年間うそをつき続けました」と長男は言う。学校の保護者同士の情報交換で交際に薄々気づき,心配ではあったものの,「そんなことはない」という息子の言葉に「まさか罪になるようなことはしないだろう」と山本兄弟は考えた。そしてうそをついているかもしれないと感じつつも,それ以上深く追求することはしなかった。

長男が大学生になったとき,山本兄弟は神権面接でもう一度純潔の律法について話をした。

「このときに初めて,このままではいけないんじゃないかと思うようになりました」と長男は語る。「そして教会に行かなくなるか悔い改めをするか真剣に考えるようにもなりました。でも父に告白する勇気はありませんでした。」

仲間たちの良い影響力の下で良心の呵責を覚え始めたこのころを境に,長男は長い悔い改めの道を歩み始める。それはおもにワードやステークのYSAの仲間の影響が大きい。「同じワードの姉妹から教会の活動に誘われるようになり,隣のステークの活動に参加するようになりました。そこには福音を本気で信じているYSAがたくさんいました。」教会活動が楽しいと思うようになると,長男はYSAの代表に召される。「教会は信じてはいなかったですけど,いいものだとは思っていました。このように生きられたら確かにすばらしいだろうなと思いました。YSA代表となるとほかの人を励ます役割があるので自分を作って(取り繕って)活動していました。」指導者からは『いつもありがとう』と感謝されていたが──「自

分はまだ悔い改めてもいないし,ずっと隠しながら召しをやってて……。自分がしていることが苦しかったですね。」

活動に参加するうちに長男は一人の姉妹と出会う。「その人は3世で,すべてのことをお祈りで決めている人だったんですね。21歳になったら伝道に出るとも言っていました。彼女はすごく輝いて見えました。でもお祈りがこたえられるという意味がわたしにはよく分かりませんでした。彼女はモルモン書のこともよく話しました。」彼女の祈りやモルモン書に対する証によって,長男の心に『祈ってみよう,モルモン書を読んでみよう』という思いが生まれる。

「モルモン書のジョセフ・スミスの証を読んでお祈りしたときに『神様はいる』ということを感じました。そのときから生活を変えよう,正しく生きたいなと強く思ってきましたね。今までは自分のやってきたことを指導者には言えないと思っていましたが,証を得たとき,そんなことはどうでもよくなりました。悔い改めはしんどいですが,早く悔い改めて神様の御業の最前線で堂々と働きたいと思うようになりました。」

──そして長男はビショップにすべてを告白した。

息子の帰還

長男はそのころ, B Y Uに行くための勉学にも励んでいた。山本兄弟は熱心に長男を支え大学についての話や情報交換を頻繁にしていた。

そんなある日のこと。母親と台所にいた長男は居間の山本兄弟に声をかける。「お父さん,ちょっといい?」ちょうど留学のことでいろいろ話していたこともあり,あまり構えずに二人で部屋に入る。ところが,そこで長男の口から出た言葉は,今まで長い間うそをついていた,という告白だった。──正直なところ驚いた。しかし怒りや憤りはまったくなく,ただ,よく言ってくれた,と心から思った。涙ながらに話す長男の姿を見て,どれほど苦しんだかよく分かった。

「ありがとう。よく戻って来てくれた。父親として完璧ではなかった,不十分なところもたくさんあっただろうし非難されるところもあっただろう。でも,おまえが生まれてきたときはほかに何もいらないと思ったし,おまえを愛していたし,今も愛している。」そして長男を抱きしめた。

直後に大学の合格通知が届く。そのときに長男は,「罪を犯していると何をしても生産性が落ちると,『赦しの奇跡』※に書いてあった」と山本兄弟に言った。「あぁ,こういうことも経験を通して学んでくれたんだな」とうれしく思った。

これまでのことを振り返って山本兄弟はこう語る。「信仰とか証というものはいくら親が持ちなさい,感じなさいと言っても感じられるものではありませんし,経験と福音の勉強を通して得られるものですから,その環境は作ってやりたいなと思っていました。完全ではありませんでしたがその努力を続けてきたのは確かです。」親として後悔していないと言えばうそになるのだろう。もっとやっていれば違った結果が出たかもしれないとも思う。しかし長男は,「父はできることはすべてしてくれたと思います」と受け止めている。神権面接の最後にはいつも,教会に行き,勉強に励んで,親の言うことをよく聞くお前を誇りに思っていると言い,どんなときも自分を信じようとしてくれた。「福音に従って生活しているという意識はなかったです。両親はわたしに聖霊や御霊という言葉を使って教会のことを教えることはありませんでした。『自分でつかんでほしかったから』と言っていました。わたしが(悔い改めて)このようになったのは小さいころから父がわたしにいつも関心を示してきたからかなと,父の影響がいちばん大きいかなと思います。父がわたしと二人で話す時間を取ってくれたことが道を作ったと思います。」

山本兄弟の長男はその後,専任宣教師に召され,主の御業の最前線にあって,輝く笑顔で胸を張って働いた。

子供が主の道からそれるのには様々な原因がある。しかし悔い改めに導き,主の道に引き戻すのにもまた様々な要因やきっかけがある。親も子も決してあきらめることはない。悔い改めに遅すぎるということもない。◆