リアホナ2007年3月号子供に福音を学ぶ機会を与えてください──親子を支援するセミナリー

子供に福音を学ぶ機会を与えてください──親子を支援するセミナリー

松戸ステーク牛久ワード 戸部基成ビショップ

ビショップの優先される責任は青少年と伝道だと理解しています。教会に集う子供たちが抱えている問題は,教会,勉強,部活のバランスをどのように取るかということだと思います。また,それに伴って,教会員の子供たちのチャレンジはほんとうに自分には証があるのかという部分かもしれません。

子供たちの生活環境を見ますと,両親や教会員と過ごす時間よりも,当然のことながら,学校の友人との時間の方が多くなっています。悩み事があって学校の友人に相談したときに,比較的良い友だちであれば,良い方向へ導かれる可能性もありますが,どうしても世俗的なアドバイスを受けて,その方向に向かってしまうこともあります。ビショップと面接してもなかなか本音の部分は見えないことがあります。ですから,子供と親がいかに良い関係を作っているかが重要になってきます。

青少年が安息日に教会へ来ているというだけで楽観することはできません。青少年を取り巻く環境を考えると,今の時代は,それだけではまったく安心できません。

わたしは青少年たちにもっと勉強をするように勧めています。勤勉に励むこと,忍耐し努力することは必ず将来の財産になります。これは学校の勉強だけではなく,福音の勉強も同じです。

子供たちをセミナリーで学ばせることは大変だと感じる親がいるかもしれません。子供たちは忙しい生活を送っています。学校の勉強や部活が忙しく,そのうえセミナリーに出席するのは,「忙しくてかわいそうだ」と感じるのも親心です。しかし,将来を見据えて考えてほしいと思います。例えば,学校も部活も親の仕事も忙しくて,家族の祈りや家庭の夕べを行うことが難しい家族がいます。もしセミナリーで学ぶことが十分にできなかったとしたら子供たちが福音や聖文に接する機会はほとんどありません。それで,子供たちが福音に添った人生を送ってほしいと望むことができるでしょうか。その子供が福音を学ぶ機会が与えられず,いつか道から離れたときに,同じように,「忙しくてかわいそうだ」と言い続けられるでしょうか。後悔だけが残るのではないでしょうか。子供たちの信仰をはぐくむうえで,親が妥協してしまっていいのでしょうか。

子供たちが直面していることは昔と比べれば確かに大変かもしれません。しかし,その負荷に耐えられるのも,若さだということを忘れてはなりません。質の高い宣教師が求められるというのは,まさにそのことです。多忙な過酷な環境の中でも,それを乗り越えてきた青少年だからこそ,質の高い宣教師になれるのだと思います。

それを実現するためにも,決して親の気持ちはぶれてはならないと思います。

(その一方で,)わたしたちは表面的なことだけを見て判断してしまうことがあります。明確なビジョンを持った親もいれば,成り行き任せの親もいるかもしれません。それに対して,必ずしも答えは一つではありません。ビショップに召されて分かったことは,実はだれもが複雑な背景や事情の中にあって信仰を守り続けているということです。葛藤はあるでしょう。でも,教会ですからいろんな人がいていいわけです。会員の方々には,目に見える部分だけで評価や批判をせずに,想像力を働かせて理解してくださるよう願っています。◆