リアホナ2007年2月号私の原点宣教師のころ5  人の気持ちを理解して,コンピューターで表現する

私の原点宣教師のころ5  人の気持ちを理解して,コンピューターで表現する

世界的に普及したプログラミング言語『Ruby』を開発した松本行弘兄弟

「ひらめきは少しはあるかな……」

「集中力ですか……」

松江ワードでビショップリックの第一顧問を務める松本行弘兄弟は,ノートパソコンの画面を見つめ,首を傾げながら答える。

「あるのかなぁ,集中力……」

インターネットの検索サイトで「Ruby」と「まつもと」の二つのキーワードを入れて検索すると約977,000件の情報結果が表示される。英語の検索サイトで「Ruby」と「Matz」のキーワードを打ち込むと,検索結果はなんと約1,040,000件。「まつもと」も「Matz」も松本兄弟のニックネームだ。彼こそがコンピューターのプログラミング言語として脚光を浴びているRuby(ルビー)の開発者,「まつもと」そして「Matz」その人だ。

プログラミング言語のRubyが誕生したのは1993年2月24日。当時,松本兄弟も使っていたプログラミング言語「Perl」(パール)が6月の誕生石であるPearl( 真珠)とほぼ同じ発音をすることから,「会社の同僚の誕生日が7月だったので,その誕生石の名前からRubyと名付けました」と松本兄弟は笑いながら説明する。「Perlより便利なものがあればと思ったのが,開発のきっかけでした。パールが真珠なので,それに対抗してルビーという名前をつけました。ほかの宝石の名前も考えたのですが,これがいちばん短くて発音しやすかったので……。」エピソードをドラマチックに演出することなく淡々と語る。

松本兄弟が改宗したのは1974年,9歳のときだった。家族でバプテスマを受けた。松本兄弟がコンピューターに興味を抱いたのは中学生のころ。「父親がポケットコンピューターというのを買ってくれました。それをいじったのが最初のきっかけです。高校生になってからは,パソコン関係の本をよく読むようになりました。子供のときの影響って大きいですね。」「夢はないよりはあったほうがいいですね。」これもさりげなく語る。まったく力んだ様子はうかがえない。

大学生のときは故郷を離れ,土浦支部へ集いながら筑波大学で学んだ。そして,2年生が終わった時点で宣教師に召される。任地は故郷の岡山伝道部。「父親が副伝道部長でしたので,少し困りました。しかし,四国と山口でおもに伝道しましたので家族と会う機会はありませんでした。」

休学して伝道へ出た松本兄弟の1年目が終わるころのこと。「父から突然アパートに電話がかかってきたんです。継続して2年目に休学することを申請したのですが,認められなかったとの連絡でした。学部の中で前例がなかったものですから,伝道という理由では休学の延長が教授会で認められなかったようです。」父親には「自分で決めなさい」とだけさらりと言われた。伝道を終えて帰るか,大学を退学するかの選択を突きつけられた松本兄弟は,退学することを選んだ。「だって,宣教師なんですから,大学の方は選べませんよ」と微笑む。「帰った後のことは確かに不安でしたが,悩んでもどうしようもないですからね」とこれも淡々と。結局,伝道を終えてから復学願いを出し,試験を受けて筑波大学へ再度入学することとなった。卒業後は浜松にあるソフトウェア制作会社で働き始め,その後,2回の転職を経て現在に至っている。

人の気持ちに寄り添うプログラミング

「自分の伝道部会長は珍しいことに,日本語をまったく話せない人でした。同僚たちもアメリカ人が多かったので,英語でコミュニケーションを図らなければならない環境は多々ありました。現在は海外と英語のメールをよく交換しますので,役立っているように思います。コミュニケーションという点では,今のお客さんとの関係作りの面でも役立っています。」

松本兄弟の仕事を一言で表現すれば「コンピュータープログラマー」。しかし,人とのコミュニケーションがいちばん重要な仕事内容だと語る。「わたしは朝からパソコンの前に座っていますし,コンピューター関係の仕事といいますと機械的な印象を持つかもしれませんが,相手は常に人間です。ソフトウェアを作っても使う人の気持ちを考えますし,開発段階ではいろいろとコミュニケーションが必要になってきます。お客さまのためにプログラムをつくるときには相手へのヒヤリングが欠かせません。お客さまの考えていること──人の頭の中をのぞいて,それをコンピューターで実現できるように書き換えてあげるのが仕事です。コンピューターから出てくるのが仕事ではなく,人の頭から出てくるのが仕事です。」

事実,Rubyがここまで広まったのも,「楽しく」プログラミングできるようにという,使い手の気持ちを考えたプログラミング言語デザインのセンスによるところが大きい。作者いわく「カジュアルな」Rubyの改良にいそしむ松本兄弟。その念頭に常にあるのは,ユーザーへの思いである。

Rubyはフリーソフトウェア,あるいはオープンソースソフトウェアと呼ばれている。自由に使えるフリーウェアとは少し違って,ソフトウェアそのもののソースコードという設計図も公開してだれでも自由に使えるようになっている。従って,Rubyが広まっても松本兄弟に直接の金銭的な利益はない。「1993年に作り,95年からいろんな人たちに使ってもらうようになりました。99年にRubyに関する本を書いて,そこから広まった感じがします。2000年に英語版が出て,さらに海外でも多くのユーザーに使ってもらえるようになりました。最近はいろんなコンピューター上で使えるようになっています。皆さんが勝手に改良を加えてくださっているんですよ。」

松本兄弟のもとにはRubyの改良について様々な提案が寄せられる。その採否について検討するのも松本兄弟の仕事である。その判断基準となるのはやはり,ユーザーのためになるかどうか。

「Rubyに関するカンファレンスがアメリカで開催されるので,そこには毎年出席しています。そこでは,Rubyの使用例,修正したところ,開発したプログラム等,Rubyについて様々な視点からの発表が行われます。Rubyはすでにわたしのもとから離れて独り歩きしています。その状況をみると『Rubyも頑張っているなぁ』という感じです。

言ってみれば,福音も情報ですよね。それをだれかが聞いて,『いいなぁ』と感じる人がいるとそれがほかにも伝わって,良いと感じる人が集まってきて,人から人へ伝わりながら独り歩きして行きます。Rubyも神様の教えも,徐々に広まっていくという点では似ていますね。」

Ruby開発者としての影響力

松本兄弟は「Rubyの開発者」として打ち合わせ,講演会など多忙な日々を送っている。オープンソースソフトウェアの分野で取材を受けるとことも比較的多い。しかし,広まっていくRubyを見つめながらこんな気持ちも感じている。「Rubyが一人歩きすればするほど,わたしを見る人々にギャップを感じさせているかもしれません。わたし自身の中身は変わらないのに,Rubyが広がるにつれ,世界の人々のわたしへの見方が変わってきているのを感じます。」

そのようなギャップを埋めるためにも,松本兄弟自身は日々のちょっとした思いを日記形式(ブログ)でつづり,インターネットで公開している。プログラマー同士でしか通じないような専門用語を交えた日記の中にあって,日曜日や休日の項には,教会の責任のことや家族との時間など等身大の松本兄弟が,気負いもなくありのままにつづられている。「今の仕事は自分で時間管理を行いますので,早く帰宅することも可能です。家庭の夕べも問題なくできます。朝食も夕食も家族と一緒に取ることができます。最近の日本社会ではそのような家庭も少なくなってきているようですが──それでも家族と仕事のバランスを取るのは難しいですね。」松本兄弟がついつい没頭してしまう仕事内容について「妻や家族は分かっていないでしょうね」と笑う。家族にはときどきからかわれて「パソコン捨てるよ」と言われることもあるという。

「Rubyを通して何かを目指すということは意識していません。開発そのものが楽しいので,それが継続すればいいなぁというぐらいです。もちろん,まだまだアイデアはあります。しかし,説明するとかなり難しい話になります。このような話を始めますと,わたしにインタビューする一般誌の人はたいてい頭を抱えて帰ってしまいます。誤解がないように紹介するためには,書かないというのがいちばん良い方法かもしれませんよ」と松本兄弟は笑顔で語る。

ブログについては,松本兄弟の名前を検索する人が多いネット環境の中で「いつか伝道に役立てばと思って」とのこと。「伝道中はあまりファインディングが上手な宣教師ではありませんでした。ですから,このような日記であっても,どこかで何か良い影響があればうれしいですね。」

海外で開催されるRubyのカンファレンスに出席する松本兄弟が少し楽しみにしていることもある。それはRubyを利用している海外の教会員と会うことだ。「2002年にポートランドでカンファレンスを行ったときには,出席者は60人ぐらいでしたが,その中に教会員が10人ほどいました。昨年のデンバーでのカンファレンスには300人以上集まりましたが,やはりRubyを利用している多くの教会員が出席していました。昨年のカンファレンスの前にはB Y Uへ寄り,コンピューターサイエンス学部で講演をしました。開発者に会えるということで学生は喜んでいました。昨年からは日本国内でもRubyのカンファレンス(Ruby会議)が開催されるようになっています。」

日本人が作ったコンピューター言語が世界中に広まっていくことに爽快な気持ちを感じているユーザーも多い。その一方,冷静に,着実に,そして淡々と。そんな言葉が松本兄弟には似合う。コンピューターの画面の中で日々進化を遂げるRubyを眺める松本兄弟。──「やっぱり,ひらめきもあまりない方かな……」目を閉じて腕を組みながら独り言のようにポツリと話す。もっと性能の高いプログラムを書ける人はいる,自分は決して天才的なプログラマーではないと語る松本兄弟。しかし,ユーザーが楽しく使えることを願い,人の気持ちを大切にしてプログラミング言語をデザインする感覚こそが自らの強みであることを,世界の「Matz」は自覚している。◆