リアホナ2007年8月号 夫婦の履歴書「主の風土」に働く大阪人気質の宣教師

夫婦の履歴書 「主の風土」に働く大阪人気質の宣教師

~日本仙台伝道部専任夫婦宣教師北上忠義・町子ご夫妻~

~日本仙台伝道部専任夫婦宣教師北上忠義・町子ご夫妻~

岩手山を背景に高松ノ池の水面に映し出される千本桜の美しさは盛岡の人々を魅了する。県下一の桜の名所と呼ばれる場所は,その季節ともなれば,枝垂れ桜,大山桜,八重桜が競うように咲き誇る。淡い桜色が映える湖面の隣に建つ白い教会堂。そこが夫婦宣教師の北上長老姉妹が奉仕している盛岡支部だ。

大阪北ステーク花屋敷ワード出身の北上忠義長老と妻の町子姉妹は,自分たちを「根っからの大阪人」と言う。持ち前の明るさで突き進む二人は,情に感じればのめり込むように働く。まずは大きく一歩を踏み出す。良いものだと感じたらパッと向きを変える。確信したらさらに進む。「とにかく単純なのでしょうね,わたしたちは」と大らかに話す。天真爛漫。前向き思考。満開の桜さえも吹き散らすように明るい二人は,優秀な宣教師としてのあらゆる特質を持ち合わせている。そんな二人が抱える深刻なものに,出会う人はだれも気づかない。

瞬時にキリストへ向きを変え

改宗する前に信用金庫で働いていた北上姉妹は,熱心に経を唱え,写経に専心する女性だった。「勤め先で新しい店舗が開設されることになり,わたしともう一人の女性が開設準備員に選ばれました。彼女の友人に岩崎尊美さんという人がいて,話によれば,熱心に仏教を信心していたのにキリスト教に改宗したということでした。当時のわたしは写経をしていると心が落ち着きましたし,仏教の教えはすばらしいと思っていましたから,いったいその女性はどうしてキリスト教徒になったのだろうと不思議に思っていました。それで,ぜひともその女性に会ってみたいと思い,同僚を通して彼女と会うことになりました。」

岩崎姉妹と一緒にやって来たのは二人のアメリカ人宣教師。「そのとき,キリスト教に入れられてしまうのかなぁ」と北上姉妹は少しばかり警戒する。すると二人の宣教師は「わたしたちはあなたをキリスト教へ入れるために来たのではありません。あなたから日本の仏教の話を聞きに来ました」と切り出した。北上姉妹は自分が感じている仏教について宣教師と岩崎姉妹に語り始めた。けれどいちばんの関心は,自分が語っていることよりも,なぜ同席した女性がキリスト教徒になったのかということだった。「出家して尼僧になることまで望んでいた岩崎さんにいったいどんなものが影響を与えたのか非常に興味を持ちました。」

宣教師からモルモン書を受け取りはしたが,北上姉妹は写経を続け,心穏やかな日々を送っていた。「モルモン書を読むことはないと思っていたのですが,二人の宣教師が清楚な良い印象だったのでとりあえずは受け取りました。」そして,写経を続ける北上姉妹に岩崎姉妹から連絡が入った。「二人の宣教師がもう一度あなたと会いたいと言っています。」さらに「会うことになれば必ずモルモン書の感想を聞かれると思うので,少しだけでも読んでもらいたい」と。しかたなくモルモン書を読みはじめた北上姉妹だったが,読み進めるうちに自分が引き付けられているのを感じた。3分の1を読み終えると「これは絶対に神様の言葉に違いない」と思い始めていた。「ここに書かれていることはうそではないという気持ちが自分の心の中に強く入り込んで来ました。最初の3分の1 を真剣に読み,残りは概略をつかむようにしながら1週間で読みました。読み終えた瞬間に,わたしは仏教をやめてキリスト教を学ぼうと瞬時に切り替えてしまいました。そして改宗しました。」根っからの大阪人と自分を評する北上姉妹の良さがそこにある。良いものだと感じたらパッと人生の向きを変えてしまった。

「清く,清く」なる改宗

当時の北上長老は「日本人のくせに」と北上姉妹の改宗に反対した。「あまりキリスト教は好きではありませんでした」と振り返る北上長老。「妻が改宗したころは,変な宗教とかかわったのではないかと反発しました。自分と同じ価値観で生活していると思っていた妻がバプテスマを受けたので,価値観が変わったのではないかと気分を害したり,乱暴な言葉をかけたこともありました。彼女の生活の中で,目に見えて価値観が変わったことが分かりました。」しかし,その北上長老も6年後にはバプテスマを受けた。北上姉妹以上に瞬時にパッと人生の向きを変えてしまった。「180度変わりました」と本人は笑う。

「主人は教会員には悪い気持ちを感じていませんでしたから,彼らが遊びに来たり,家で宣教師が英会話を教えるなどしていました。教会員は悪い人ではないと思っていたようです。そのような中で,ソルトレーク・シティーで開催された教会の総大会に主人とともに2回出席する機会がありました。タバナクルの中に集って,また,教会の指導者と会うことで主人は御霊を強く感じたようです。しかし,改宗には至りませんでした。」

あるとき二人の姉妹宣教師が北上家を訪問した。その二人の姉妹宣教師は「北上さんはよく準備ができているからレッスンをするようにと霊感を受けた」と話した。「彼女たちはよく祈り,主人にレッスンを勧めました。主人はレッスンを受け始めましたが,その間にも紆余曲折があり,真剣に学んでいるようには感じられませんでした」と北上姉妹は話す。そこで北上姉妹は大きな一歩を踏み出した。「あの人たちは神様の使いなのだから遊びに来るだけならば呼びません。」怒った気持ちを正面からぶつけた。そして「神様はいらっしゃるので,その神様に尋ねたら真実は必ず分かる」とはっきりと伝えた。北上長老は犬の散歩に出かけ夜道でいろいろと考えた。帰宅すると「レッスンを受けたいので宣教師に連絡してくれ」と切り出した。レッスンを受け始めると北上長老は変化していった。「レッスンを受けながらわたしの価値観も変わってきました。人生を見る視点に変化が起きてきたのだと思います。キリストの福音を受け入れました。姉妹宣教師から悔い改めとバプテスマについて教えられ,悔い改めれば主が赦してくださると確信を受けました。」北上姉妹が感じるには「清く,清く」なっていく印象があったという。そのような段階を経て北上長老は改宗に至った。

病を道連れに伝道へ

改宗した北上ご夫妻の次の願いは夫婦で伝道へ旅立つことだった。しかし,二人にとっては「少しばかり」の心配事があった。それは二人が抱える健康の問題である。けれども神様に恩返しをしたいという気持ち」と比べれば「大した病気ではなかった」と二人は口を揃える。北上長老はホジキン悪性リンパ腫,北上姉妹は乳癌。北上長老の祝福文に記された伝道へ召されることの祝福に比べれば,決心することはさして難しい問題ではなかった。北上姉妹は乳癌の手術を受け,北上長老は抗癌剤による治療を行う。少しばかり厄介だったのは悪性リンパ腫が体中に広がることぐらいだった。

「もちろん病院の医師からは伝道へ行くことは止められていました。危険だと言われていました。しかし痛みを感じることはありませんでしたから,普通に動くことはできました。家にとどまっていても普通に生活しながら療養するだけの生活です。それならば,家でじっとしていても伝道へ行っても同じなのではないかと思いました。」天真爛漫に語る北上姉妹。二人の決断したこと以上に前向きな答えを見つけるのは難しい。

「病院へ診断書をもらいに行ったときに医師から『再発していた癌の進行が止まっている』と言われました。『今の段階では大きな治療を行う必要はありません』と言われました。さらに『今ならば伝道に耐えられる体なのでそのように診断書を書くことができますよ』と言われました。」迷うものは何もなかった。すぐに宣教師の申請書を提出した。約3年前に発病し,治療を繰り返してきた北上長老。北上長老の癌の進行が小康状態になったタイミングで二人は伝道へと旅立つこととなった。伝道中も定期的な検査を欠かすことができない二人は,大阪から近い神戸や名古屋あたりに召されると思っていた。しかし届いた伝道の召しに記されていたのは仙台伝道部。「随分と寒い場所に召されるので大変だ」と北上姉妹は思った。北上長老は「神様がそこへ行くように召したのには理由があるはずだから」とだけ話した。

「イエス・キリストの風土」で働く

現在,盛岡支部で働く二人は忙しい。北上姉妹はインスティテュートの教師,扶助協会会長会顧問,日曜学校教師の責任を果たしている。教会から足が遠のいている会員を訪問するのが二人のおもな責任だが「訪問する数もそれほど多くはないので,すでに何度も訪問を繰り返して多くの人たちと親しくなっています」と言う。

「盛岡は特別な所です」と二人は話す。「わたしたちは大阪人なのですべて突き進んでしまいます。最初は盛岡の風土が大阪と違うので戸惑うこともありました。盛岡の人たちはじっくりと物事を進める人たちなんです。」大阪人の心意気を持ちながら伝道する二人は,春先に会員と準備したオープンハウスでも静かにはしていられなかった。教会堂の前を通る人にためらいなく声をかけ,オープンハウスの展示に人々を招き入れる。散歩中の人たちはその勢いに負けるように教会堂へと足を運ぶ。宣教師として働く二人にとっては盛岡の風土も大阪の風土もない。今は「イエス・キリストの風土」しか持ち合わせていない。

「二人で伝道へ来られたことは大きな祝福です。たくさんのことを教えられました。わたしたちは若いころに改宗したわけではありませんので,今になって,神様に詰め込まれるように教えられています。福音を伝えることに忍耐と思いやりと悔い改めは不可欠だと学びました。」

すでに伝道期間の半分を終えた二人は伝道前と変わることなく元気で働いている。変わったことといえば,会員や求道者との食事会で数え切れないほどたこ焼きを作ったこと,そして,北上長老の髪が抗癌剤の影響で抜け落ちたことぐらいだ。3月の北上長老の定期検査でリンパ腫の再発が確認された。しかし,それとともに,主に頼る二人の気持ちと信仰はさらに強められている。「自分が病気だという実感はありません。神様の愛に満たされています。守られている感じがあるのでまったく不安がありません。盛岡の会員をはじめ多くの人たちがわたしたちの健康を心配して祈ってくれていることに感謝していますが,わたしたちには病気であるという実感がないので不思議な感覚です。」

東北には「三泣き」という言葉があると北上夫妻は紹介する。東北に移り住む人がその自然の厳しさに泣くことが「一泣き」,その土地に住んで人々の優しさと人情に触れて「二泣き」,最後に別れるのが辛くなって「三泣き」するのだという。神様と盛岡の人たちに感謝する思いが強かった二人には,「一泣き」はなかった。涙を流すよりも,神様からの召しにこたえる意気込みと,助けてくれる人たちへの感謝の気持ちが強かった。「まるで昔から盛岡の会員のように生活していますよ」と北上姉妹は誇らしげに話す。

盛岡を愛する二人は,盛岡の人々に悪い影響力を及ぼす力,主に対抗する力と戦い,自分たちの健康を脅かす癌とも戦いを続けている。神様に守られ働き続ける二人に涙を流している時間はない。しかし,高松ノ池の水面に映し出される千本桜が美しく咲く次の春を迎え,盛岡に別れを告げるころ,二人は「三泣き」の意味を理解するかもしれない。◆