リアホナ2007年4月号信仰の風景 人間として親として完全でなくても

信仰の風景 人間として親として完全でなくても

川門夏子姉妹はいわゆるパートメンバーだった。19歳で改宗し,教会員でないご主人と結婚した。やがて子供に恵まれ,7人の子供の母親となる。自身も7人きょうだいの中で育った夏子姉妹は取り立てて気負うこともなく専業主婦として子育てをしていった。もちろんだれの人生でもそうであるように,問題がなかったわけではない。

「わたしには姑がおりまして,嫁姑の問題がけっこうありました。夫婦げんかもよくあったんですよ。その険悪な状況を子供に見せたらいけないと思うけど,どうしても家の中におりますので……。もともとわたしは,変に何か隠したりとか自分を取り繕ったりとかあまりできない質なもので。お姑さんともそうで,本音でぶつかるものですから。教会員でありながらこんなひどいけんかして,子供たちにはその弊害が出ないように,って将来的に不安がありました。(笑)」

そこで夏子姉妹はどうしたか。親といえども人間的な弱点はある。もともとさっぱりした気質の夏子姉妹は,失敗を包み隠さず,それを改めようとする姿も含めて子供に見せた。「ああ,今,ちょっと悪かったんじゃないの? って思いがあったら,素直に謝る。悪いところを子供に見せてそのままにしたらいけないかなあ,って。子供たちがいたから,すんなりと,早く悔い改めなくちゃ,って思えたんですね。」──子供の目にそんな夏子姉妹の姿はどう映っていたのか。二女の恵姉妹は証言する。「自分が悪いときでも相手が悪いときでも,とにかく怒ってる状態はよくない,とか。相手が悪くても一方的に責めるのもよくない,とか。やっぱり福音を知ってる分,自分たちは行動を変えなくちゃいけないというのを教えてくれたかな。お母さんが自分で実行してる分,説得力が強いので。」

「失敗して,失敗を自分で悔い改めながらやることを,子供にも教えていったというくらいです。模範!?ということではないんですよ(笑)。一人一人にちゃんと教育できない分,素直に自分の福音を,福音を知らないおばあちゃん,お父さんを通して実践してきたということですかね。ま,けんかはしても,決して彼女を憎んだりとかいうことはなかったし,けっこう,好きなんですよね,おばあちゃんが。もちろん主人も愛してますし。」

子供たちにとってのもう一つの思い出は祈る夏子姉妹の姿である。「おばあちゃんとの間が険悪なときとか,自分の親を頼るような感じで主に頼るんです,恐れ多くも愚痴をこぼしたりして。何か相談するにもお父さんにも言えない,子供も小さいし心配をかけられない。だから主に頼らずにはやっていけないという部分がほんとうにあったんですよ。」ある日,二男の正人兄弟が帰ってきたとき,母親が2階で祈っているのを見かけた。何でこんなに祈ることがあるんだろうと不思議に思うほど長い祈りだった。「それほど長くやってたみたいですね,自分では気がつかなかったんですけど。そうするとすっきりするんです,また元気になるし。けっこう,祈りは身近にありましたね。」

子供にも何かにつけ祈るよう勧める。「ちっちゃいころからお母さんが,物がなくなったりしたらお祈りしたら見つかる,とか言って。お祈りをしたら大丈夫,助けてもらえる,平安があるというのが頭の中にあって,よくお祈りはしていて,確信があった……小学1年生くらいのころですね」と四女・のぞみ姉妹。

「中学生のころの有希子(三女)から何か相談されたときに,あなた祈ったの? ってつい言ってしまって。彼女が泣いちゃってね。親は何のためにあるの? って言われたんですよ。そのときにはっとして。親としてちゃんと聞くべきことを聞いて,そのうえでお祈りすることじゃないかな,何でもかんでも天のお父様に,って,もしかしてわたし自分の責任を回避してたのかな,ってそのときすごく反省させられましたけど。(笑)」それほどまでに生活に祈りが溶け込んでいた。

子供たちから相談を持ちかけられて母子で祈ることも度々あった。「小さいときは純粋な気持ちでお祈りってすごいんだと感じてたんですけど,中学生になってから,胸が温かくなるようなそういうのを感じて,ああ,これはすごいものなんだと。」(有希子姉妹)子供たちは生活の中から自分で証を得ていった。

親としてできたことは,毎週とにかく日曜日,教会へ連れて行くことだけ,という夏子姉妹。子供たちは皆,8歳でバプテスマを受けた。「子供たちは教会に育てられました。」特に早朝セミナリーは,「すごく行きたかった!」と女の子たちは声をそろえる。「(兄が)朝,起きたときは多分,嫌そうな顔してたかもしれないけど,帰って来るころには機嫌がすごくいいから。たまにリフレッシュメントも持って帰って来るし。(笑)ああ,一体どんな所に行ってるんだろう,そこには何があるんだろう,(笑)すごく行きたくてしょうがなかったです。」(有希子姉妹)

「セミナリーを卒業するとほんとに,聖典とお友達というか,自然と自分で折に触れて聖典を開いている子供の姿を見るようになります。すごくいいなあと思いましたよ。」小さいときはお母さんが一緒に読んでくれて,と子供たちは振り返る。「いつもというわけじゃないんですけど」と,率直な夏子姉妹。「時々,チャレンジとして毎朝一緒に読もうか,ってそれが途切れたりするんですが(笑)また復活して,一応途切れても,ずっとやって,今も毎朝7時にみんなで読もうかっていうことでやっていますけど。まあ,みんながそろうときもあれば,一人二人のときも。(笑)」

有希子姉妹は幼いころの父親の思い出を語る。「お父さんに,ちっちゃいころに励まされた。小学2年で,いじめられたとき,教会に行っているから大丈夫だろう,って,言われたのを覚えている。何かにつけて教会のことを出してきてたよね。そのころ小さかったからお父さんが教会に行っていないって気づかなかった。」

家庭の夕べに普通に参加し,セミナリーに送り出すことも肯定的に見てくれる父親だった。それでも──「家庭の夕べとか,子供たちが朝早起きするっていうこと,要するに表面的に良いことは賛同しますけど,その下にある,霊的なその部分が理解できませんよね。自分は教会には絶対に入らないということで,教会の話を熱心にしてくると,怒っちゃう状況が20年以上続いたんです。」

それでも変化の兆しはあった。

「中学高校って,この教会に行っていない子供たちは,喫煙だとか飲酒だとかいう問題がありますよね。会社の同僚もそういう問題で学校に呼ばれたりとかする中で,自分の息子たちはそういうのもなく,また高校で,重量挙げで活躍したりしたものですから,とてもいい気持ちがしたらしいんです。そのときからですね,教会に行ってるおかげで子供たちは素直に,道をそれることなく来たかな,っていう思いはあったようです。そのうえまた長男と二男が相次いで伝道に出て,やはり毎週のように手紙を送ってくる。特に二男が,伝道地から家に送ったら真っ先にわたしが開いて手紙を読んで,(家に置いておくと)お父さんが読まないだろうということで,お父さんあての手紙は職場に直接,送ったんですね。だからそれでずいぶん変わりましたね。」

2003年の大晦日だった。大掃除に忙しくしている川門家を宣教師の長老たちが訪れた。取り込んでいるからまた今度,と言いかけた夏子姉妹に,ご主人は「ちょっと上がってもらいなさい」という。大急ぎで一部屋空けてくれていた。「あら?って思ったんです。」しばらく世間話をしたあと,「御霊のささやきだったんでしょうね,多分。どうせ来たんだから長老たち,だめもとで,(お父さんに)レッスンチャレンジして,って言ったんですね。

長老たちが,そろそろレッスンいかがですか,って言ったら,『ああ,いいよ』って。ええっ,何でこんなときに!? って。意外でしたよほんとうに。」

結婚以来20数年──翌2004年3月,ご主人の正勝兄弟はバプテスマを受ける。

「その前もいいお父さんといえばいいお父さんだけど,人がこんなに変わるとは思わなかった」と有希子姉妹。恵姉妹も強くうなずく。「ねえ,福音が人を変える,人の力じゃないな,人が人を変えられないなというのをすごく感じたよね,お父さんの改宗を通して。」有希子姉妹は続ける。「その変身ぶりが……もう全部ですね,しゃべり方とか顔とか,表情も全部変わりました。やっぱり霊的な部分を一緒に分かち合えるというのがいちばんうしくて。すごい,お父さんが祝福してくれた,とか,一緒に祈ってくれるときとか。ほんとうにこんな時が来るとは思わなかった。」◆