リアホナ2007年4月号フルタイム化するLDSファミリーサービス事務局

フルタイム化するLDSファミリーサービス事務局

2006年8月,西原里志兄弟はユタ州ソルトレーク・シティーにおいて,LDSファミリーサービス日本事務局常勤ディレクターとしての研修に臨んでいた。

「わたしは初めて行ったんですけど,『名前何ていうんだ』『里志です』『やあサトシよく来たな』って言って皆がハグしてくれるんですよ。……いろんな経験談を話すと,みんなが寄って来てくれて,『ああサトシ,いい話をしてくれてありがとう』って。もうほんとうに温かいんですよ。」──ここはLDSファミリーサービスが提供する依存症立ち直りプログラム(Addiction Recovery Program,通称ARP)の場である。その日はアルコール依存症からの回復を支援するグループセッションが行われていた。平日の12時,昼休みの時間帯に開かれたセッションで,参加者は三々五々やって来る。18歳から73歳まで,13人が集まった。

「もう一人,女の子が来ていて,『名前は何ていうんだ』って聞いたら,『どうしても言わなくちゃいけない?』って言うんですね。『いや言わなくてもいいけど,でも名前がないと呼びにくいから,何でもいから名前を付けよう。』たまたまその日テーブルの上にバラの花が置いてあって,『じゃあわたしローズ』『ああ,じゃあローズ,よく来たね』ってみんな話し始めて。匿名性がきくんですよ。もうみんなすごく温かくて。」そこにはローズのように初めて来た人もいれば,全12回のプログラムを終えようとしている人もいる。最初にこのグループのリーダーである夫婦宣教師が10分ほどの短いミニレッスンを行って,聖文を基にその日に学ぶ原則を教えるが,その後はもっぱら参加者主導で進んでいく。中に一人,ステーク会長のような恰幅の男性が座っている。

「『じゃあ今から○○兄弟頼むね』と言われて(話し始めた男性の話を)よく聞いてみたら,実はこの人は以前アルコール依存症だったんですよ。克服して3年くらいになると言ってましたけど,もうほんとうにステーク会長さんみたいなんです。その人がまず自分の経験を話すんです。で,順番にこう話していくんですけど。」参加者一人一人が,自分の置かれている困難な状況をその場の人と分かち合う(これをシェアリングと呼ぶ)。そして最初に提示された福音の原則をどう自分の問題解決に結びつけるか,各人の状況に即して語り合っていく。同様の問題を抱えた者同士という共感からか,グループ内では率直に心を開いて話すことができる。最初に話した男性はファシリテーターと呼ばれ,ボランティアで参加している。自分が依存症を乗り越えたという過去の経験を生かして,今まさに依存症を克服しようとしている人たちを支援しているのである。グループに何度も出席している人が初めての人を教えることもできる。そこには特定の指導者がいない。しかし互いに支え合い励まし合いながら,自分独りでは困難な依存症の克服に取り組んでいる。グループで最年長の73歳の姉妹は,このクラスに出席するようになってだんだんとお酒に手を伸ばすことがなくなってきたという。そのいちばんの理由は,ここに来る人たちの心の温かさだ,と語る。

心理学では療法の一つとしてこうしたグループセッションを用いることがある。自分の問題をグループの参加者とシェアリングすることによって,悩みが軽減したり解決方法を自ら見いだしたりといった治療効果が期待できる。ただ,世の様々な心理療法に対してLDSファミリーサービスのグループセッションを特徴づけるのは,福音の価値観に基づいていることであり,そこにシオンのような雰囲気があることだという。

この4月から日本の教会で,LDSファミリーサービスが提供する「リソースクラス」が新たに始まる。「これはある意味で,今度ファミリーサービスがフルタイムのサービスになったことの目玉商品と言ってもいいと思うんですよ」と西原兄弟が語る「リソースクラス」とは,アメリカの「グループセッション」プログラムの日本版である。

LDSファミリサービスは前述のとおり,アルコール依存やポルノグラフィー依存,また家庭内暴力,虐待など何らかの問題を抱えた人と家族を支援する心理的セラピー(治療)としてのグループセッションを提供している。「でもカウンセリングにしても依存症のサポートグループにしてもほんとうは利用数が少なければ少ないほどいいと思うんですよ。」そこで,そういった夫婦の問題,親子の問題,心の問題が起きないように予防するためのグループセッションも用意されている。「この4月から日本で始めるのはその予防プログラムです。成人会員が豊かな生活を送るためのサポートの場,というふうにわたしは捉えたいと思っています。」日本の「リソースクラス」は,アメリカ社会を前提に作られている「グループセッション」を基にしながらも,日本の社会的文化的背景を考慮して日本独自のアレンジがなされている。日本人の子供とアメリカ人の子供では生活習慣やメンタリティー,また実年齢に対する発達段階が異なるといった内容面にとどまらず,例えばアメリカで週1回,3か月で修了するプログラムを,月に1回,12か月修了に変えている。

「日本の状況では,仕事を持った親御さんが毎週,子育て支援クラスに出席するというのはまず無理ですよね,ましてや夫婦そろって参加したい方がいても,出たくても出られない。でも,月に1回だったら何とか調整して出られる可能性はあります。」忙しい日本社会の状況に合わせてなるべく多くの人が参加できるよう配慮されている。

ただ,細かい内容や受講形態は違っても,そこで学ぶ原則やクラスの雰囲気はアメリカと同様でありたい,と西原兄弟は語る。それはつまり,心を開いて,建前ではなく本音を語り合える場とすることであり,そこにいる人の問題点を指摘するのではなく,癒しの手を差し伸べられる場とすることである。「ほんとうのシオンのような雰囲気が出せる,そういうクラスが目標です。家族みんながほんとうに『心を一つにし,思いを一つにし』(モーセ7:18)て,お互いに助け合って家庭の中に住めるような。だれ一人として,自分は貧しい,ドロップアウト(落ちこぼれ)であると思わないような。そういう意味ではほんとうに今わたしはこのクラスにすごく期待しているんです。」

今,ここでの救い

西原兄弟は,かつて教会教育システムに勤務していたころインスティテュートの生徒によくこう問いかけた。「救いっていつ得られるの?」

「多くの2世はこう言ったんですよ。『福千年が終わって最後の裁きが終わって永遠の命を頂くときだ』って。2世の考えというのはある意味で1世の考えだと思うんです。そういうふうに教えられているわけですから。そういう方たちの毎日を見てみると,どちらかというと福音の喜びをあまり感じないで,耐え忍んで,苦しい苦しいで育ってきて生活されている方もいらっしゃると思うんですよ。

信仰生活の中で,いつも,悪いところを指摘されてきているわけです。それを何とか良くしようとしているんですね。だけど,できないところは幾ら頑張っても,自分の力だけではできないんです。イエス様の力,御霊の力をもらわないとだめなんです。御霊の力をもらうためには悪いところを見すぎちゃいけないんです。悪いところを見すぎると絶対に落胆しますから。落胆すると,それはサタンの一つの手段ですから。つまり御霊から遠ざかるんですよ。だから,自分のできていること,あるいはしようとしていること(希望)に対してもっと目を向けることがすごく大切なところです。そうすれば御霊は来ますから。ある意味でパーフェクトのふさわしさから,(指先で)ぶら下がっているようなふさわしさまでありますけど,このふさわしさがあれば御霊は来て,一時的にでも励ましてくださるわけですから。そうすれば,かろうじてつかまっている状態からしっかり安定したふさわしさになっていけると思うんですよ。

イエス様と神様がいてくださって,毎日,祈ったときとか聖典を読んだときとか,苦しいときでも最終的には自分が守られている(と実感するとき)とか,すごい平安や喜びが来たりするじゃないですか。やっぱり毎日の生活の中で,ああ自分はイエス様の力によって救われてる,そういう気持ちの積み重なったものが(来世の)救いなんだと思うんです。そういう気持ちで信仰生活を送れたら毎日楽しくてしょうがないと思うんですよ。でもそれは多分,見方の違いなんだと思うんです。福音って,よきおとずれ,喜びのもとのはずですよね。今までの信仰生活の中の,ある視点をちょっと変えるだけでそういうふうになることができるんですよ。」

リソースクラスとは,そうしたパラダイムシフト(物の見方の転換)を起こすよう参加者へ働きかける場でもある,という。

理想の教会員とは?

ここで唐突に西原兄弟は問いかける。「皆さんの理想の,福音を基とした家族ってどんな家族ですか? 一般の教会員の人たち──特に日本の教会でと言った方がいいかもしれません。アメリカとはまたちょっと文化が違うので──にそう問うたとき,どんな答えがいちばんたくさん返ってくると思いますか?

例えば日本人だったらこう言いませんか?──『お父さんがいて,お母さんがいて,そして両親は神殿に定期的に行って,子供たちもセミナリーに出て,伝道に行って。家族そろって聖典勉強できて家族の祈りができて,日曜日はみんなそろって教会へ行って……』とか,そういうのがぱっと出てくると思いませんか? 理想的なモルモンの家族ってほんとうにそうだと思いますか?」

「理想の家族というと,やっぱり教会の中ではそういうステレオタイプ(紋切り型・固定観念)が出来上がっていると思うんですよ。でも,実際問題そういうステレオタイプがあるために,傷ついている人たちはたくさんいると思うんです。例えば,わたしはパートメンバーで,主人が教会員じゃないからわたしは教会の中では主流じゃない,とか。あるいはわたしの夫は教会員だけど教会に来てないから,とか,わたしの子供は伝道に行っていないから,とか。

ほとんどの家族は,やっぱり何らかの悩みやチャレンジに直面して生活しているわけですよ。特に日本の教会員たちはそうだと思うんです。クリスチャンの社会的文化的背景がないわけで,世の中はほとんどの場合,宗教=教団というふうに見ていますから,なかなか世間的にも受け入れられない。宗教ということだけで奇異の目で見られる。そういう中にあってほんとうに頑張っていらっしゃる人たち──本来は,福音によって守られ,福音によって慰められ,福音によって励まされなくちゃいけない人たちが,そういうステレオタイプがあるために,癒しを受けるどころか反対に傷ついて教会から帰ってしまう場合もあると思うんです,残念ながら。」

「実際,すべての人々に同じ定規を当てている人もいます。それは悪気でやっているわけじゃなく何とか助けたいと思ってやってるんです。でもやっぱり,理想のモルモンはこういうものだというステレオタイプがあるものですから,なかなか,それを打ち破って,今のままを認めて,そこから助けていくというのができないんです。つい,理想の家族から(引き算したマイナス評価で)この人を判断してしまうんですよ。

でも,わたしたちはこの地上に試されるために来ているわけです。逆境のときに,わたしたちがどう信仰を使って神様に頼って生活をしてきたかというのを神様は見られると思うんです。どんなチャレンジがあっても,ただ,ほんとうにイエス様や神様を信じて,信仰を使って福音に忠実に歩もうとしている家族が,理想のモルモンだとわたしは思うんです。

もし皆さんがそういうことを理解してくだされば,今直面している問題のほとんどは多分,解決できるんじゃないかと思います。だから,このリソースクラスでは,今までのステレオタイプを排除したい。例えば,ご主人が教会に来ていないとします。じゃあご主人に対してのいい模範として,福音を使って,どういう自分自身を示していけるのか。それをクラスで助けてもらいながら練習して実行に移す,とか。そんなクラスなんです。」

成熟したクリスチャン社会=シオンへ

「埼玉県で,産婦人科医のご主人とともに17年間で27組の養子縁組に携わってきた,さめじまボンディングクリニック事務長の鮫島かおる姉妹が,あるときこんなことを話されました。『未婚の母がそのワードに出現したときに,クリスチャンとしていちばん試されるのは,本人でも家族でもないかもしれません。それはワードの周りの教会員です。』

──そのときに,ほんとうに手を差し伸べて助ける人と,裁く人とが出てくると思うんです。お父さんがしっかりしてないからだよ,とか,純潔の律法を教えなかったの? とかいう人もいれば,もう何も言わずに,現実の問題を少しずつ助けていくっていう人もいる。これはもう未婚の母だけじゃなくても,何か問題がそのワードに起こったときに,わたしたちがほんとうにイエス様のような深い愛をもってクリスチャンとしての対処ができるようになったら,ある意味で日本は,成熟した教会というふうに言えるんじゃないでしょうか。

まあ,ユタの伝統的なワードにはそういう成熟した教会員は多いと思います。冷静な目で助けようとしていると思いますよ。やっぱり長いクリスチャンとしてのバックグラウンドがあると違いますね。

このリソースクラスの中にはそういう原則もちりばめられています。社会生活の中で人と人とがうまくやっていくための技能,福音に根ざしたソーシャルスキルを学ぶわけですから。イエス様がまさに言われた,わたしのようであるべきだという,そのイエス様の徳質を行うとき,実際に社会的なスキルの面をこう使うんですよ,ということをトレーニングしていくクラスなんです。」

最後に西原兄弟は,日本における依存症立ち直りプログラム(ARP)の展望について付け加えた。

「こんな気持ちになったことはありませんか? 例えば──求道者がどんな状態でも,批判する人はほとんどいませんよね。例えばその人がどんなに酒を飲んでいても,同棲して純潔の律法を破っていても,批判する人はいない。何とかその人がバプテスマを受けられるように助けるんです。だけど,バプテスマを受けて1週間後にその人がお酒を飲んでいたら,こう言う人もいるかもしれません。『○○兄弟,お酒飲んでたよ。今日教会に来てたけど,すっごいお酒臭かった。』──そういう目で見がちなんです。でも考えてください,1週間しかたってないんです。人間性はほとんど変わってないはずなんですよ。もちろん悔い改めてバプテスマを受けたということで,御霊を受けられるようにはなってますけど,人間性はほとんど変わっていない。ただ,周りの教会員の見方が変わっただけなんです。本来は,ここでもその人を何とかして助けようとすればいいんですけど,教会員になったということで厳しい目になる。そういう文化があると思うんですよ。だから教会員に対しては,匿名性が保てないと依存症支援クラスを開くことは難しいかな,と。だけど求道者だと,匿名じゃなくても100パーセントOKだと思うんです。そういう意味ではわたしは,教会員じゃない人たちへの地域社会に開かれた一つのサービスとして,依存症支援クラスをすぐにでも開講できるんじゃないかなと思うんです,ちょうど断酒会のような感じで。

そういう可能性はありますけど,教会員に対してというのはちょっとまだ時期尚早かな,と思っています。と同時に,このリソースクラスがもっと浸透していって,問題点を指摘するよりも愛の手を差し伸べるという,イエス様の純粋な愛がもっともっと深くなれば,大丈夫かな,とも思うんですけど。」

互いにいたわり合い愛の手を差し伸べ合う教会がほんとうに実現したとき,そこにわたしたちは,来るべき理想社会としてのシオンを垣間見ることができるのかもしれない。そんな成熟した教会員社会を夢見て,西原兄弟は今日も東奔西走しているのである。◆