リアホナ 2006年9月号わたしの原点宣教師のころ4 キリストを人生の中心に据えることの意味

わたしの原点宣教師のころ4  キリストを人生の中心に据えることの意味

金融業界日本初の外国人頭取──L・タッド・バッジ兄弟 

史上最年少の43歳にして日本初の外国人頭取が誕生──2003年6月,L・タッド・バッジ兄弟の頭取就任が報じられて以来,バッジ兄弟は経済誌や新聞を中心とするメディアにたびたび採り上げられてきた。それはただその若さや外国人であることの珍しさによるのではない。一度は破綻した第二地方銀行(地域銀行)の改革を成し遂げ見事に再生させたその手腕に大きな注目が集まっているのである。それは同時に,バッジ兄弟のバックボーンである福音の価値観について広く紹介される機会ともなった。いわく,「頭取は一時の肩書き,父親は一生の肩書き」,「毎週月曜日の夜は家族のために空けている」,社員には「仕事と家庭生活の調和」を説き,週に3日は残業しないよう勧める……

日本企業の中でもとりわけ銀行業界は,長らく「護送船団方式」と呼ばれた行政の保護の下にあり,国際競争にさらされることなく古い体質を温存してきた。この銀行も例外ではなく,半世紀も前からの規則と慣習と前例に縛られ,「してはいけないこと」の羅列の中で社員は縮こまっていた。その企業風土をバッジ頭取は大胆にしなやかに改革していく。世を驚かせた彼のリーダーシップの原点は,「人生の中で最もタフな」2年間であった伝道中の経験にあったという。

「伝道でいちばん学んだことは──」とバッジ兄弟は切り出す。「生活の中心にイエス・キリスト以外のものがあるとうまくいかないということです。」

バッジ兄弟が福岡伝道部の宣教師として最初に日本の土を踏んだのは1979年のことだった。それまで生まれ育ったカリフォルニアやアイダホ,大学のあるユタしか知らなかったバッジ長老にとって初めての異文化体験となった。古いアパートの汲み取り式トイレにショックを受け,銭湯に通い,梅雨の中雨がっぱを着て自転車に乗った。とりわけ苦労したのは「アメリカ人にとって想像をはるかに超えた言語」である日本語……。文化的視野を拡げ,その後の人生を大きく変えることになる日本社会と格闘しつつ,バッジ長老は「世界一の宣教師になる」という理想に燃えていた。朝6時半から夜10時までびっしりと埋めたスケジュールをひたすら頑張ってこなし,伝道部のルールにまじめに忠実に従う。

あるとき,一人の同僚が転任して来た。「彼が着いた日は忙しい日だったんですね。それでわたくしは彼の名前も聞かずに,集会に行って,次の予定に行って,夜に帰って,繰り返して繰り返して毎日忙しく一生懸命一緒に働きました。」瞬く間に数日が過ぎ,やっと同僚と二人で話す時間が取れたとき,彼は言った。「バッジ長老,わたしは,全然あなたの愛を感じないですね。わたしのファーストネームも知らないでしょう? わたしのことには全然興味がないみたい。」──「いやあ,それはね,関係ないよ」とバッジ長老は説明した。「大事なのは二人が伝道に頑張るということ,個人的なことは別にしてね。そしてミッション・ルールに従わないとね。」

「わたくしはたぶんあまりいい同僚ではなかったと思います」とバッジ兄弟は回顧する。「同僚がどこの出身とか同僚の好き嫌いとか知らなくても,二人ともイエス・キリストの方を向いて伝道したら全然問題ない,と,そういう考えでわたくしは伝道に出たんですね。同僚を愛するよりもキリストを愛する,同僚のために努力するよりも日本人のために努力する,そして何があってもルールに従うこと。そうしないとうまくいかないと思っていました。最初の1年間くらいは,あまり同僚と親しくならなかったかもしれない──熱心な同僚とならうまくいく,でも熱心じゃない同僚とはうまくいかない。でも最後の1年間はどちらでもうまくいっていた。」バッジ長老は,「同僚関係が強くないと伝道がうまくいかない」ことに気づいて,時間をかけて関係を育てるようになった。

また,こういうこともあった。伝道の最初の3か月,熊本に赴任して日本人宣教師の先輩同僚と働いていたときのことだった。「ある夜,戸別訪問の帰りに先輩が,『あのマンションに寄りたい』と言い出しました。『どうしてかは分からないけど,あともう少しドアを叩く必要があると強く感じる』と。」伝道部のルールでは門限は夜の10時。立ち寄っていては門限までにアパートに帰れない。「わたくしは,この(夜遅い)時間ですから,たぶん間違った御霊が来ている,と(笑)……とにかくわたくしは後輩でしたから仕方なくついて行きました。そこで非常に困っている人に会ったんです。彼は離婚したばかりのところで,そのマンションに引っ越して来たばかり,まだ荷物もほどかずに置いたままでした。先輩が話したけれど,わたくしは全然日本語が分からなかったから,その人の事情も分からず,ただ時計だけ見て,すごく怒っていました。『何でそんなに長話をしているか,もう時間,時間ですよ,もうだめ……』と。(笑)

最終的にその人はバプテスマを受けて,神殿でほかの人と結婚しました。

それで,やっぱりルールに従うのは大事ですけど,もしそういう強い御霊に感じることがあるなら例外があるということを学びました。そういういろいろな経験が重なって,わたくしの考え方が少しずつ変わってきました。」

イエス・キリストにより愛する

経験から学んだ様々なもやもやがはっきりとした形を取ったのは,伝道も残り3か月となったころ,ゾーンリーダーとして宮古島を巡回しているときだった。それは準備の日で,同僚はお風呂に入っていた。彼が出て来るのを待ちながらアパートに置いてあったカセットテープを何気なく聞いた。それは「7つの習慣」で有名なスティーブン・コビー博士の「The Divine Center」(神聖な中心)という講演の録音で,そこに,それまで漠然と感じていたことが的確に言い表されていた。

「ほかのことよりイエス・キリストが生活の中心にないとだめだと。ああ,そのとおりだなあ,と,2年間の伝道の経験で学んだことが初めてピンと来ました。それは,(それまで自分の中には)イエス・キリストよりもほかのことが中心にあったということです。例えば伝道の最初のころわたくしの中心にあったのはミッション・ルールだったと思います。どうしてもそれを守ること。それは悪いことじゃないんですが,イエス・キリストに従うことがいちばん大事なことだと思います。

あるいは一般の会員も,家族を中心にしているかもしれないし,あるいは妻とか,教会の責任とかを中心に置くことがあるかもしれない。でも,まずイエス・キリストが中心にないといけない。キリストに従うなら,隣の人を愛するということです(マタイ22:37-39参照)。それがないとあらゆる努力は意味がないということが分かりました。

同僚との経験から一つ学んだのは,ほんとうの愛とは何かということ。周りの人を愛さないで神様だけを愛しているというのは実際間違っていますね。やっぱり周りの人を愛する──まず一緒にいる妻や子供,友達などに愛を示すことによって神様への愛を表すんです。たぶん(かつての)わたくしはルール,(あるいは)伝道を頑張ることが中心にあったかもしれませんけど,ほんとうの意味での愛を持っていなかったと思います。」

「人間の心や魂を形成することにおいて,愛ほど力強いものはありません。家族は,愛され,愛することを学ぶ場所なのです。だから,大切なのです。結局のところ,個人的な幸せや国家や社会での成功を決定づけるのは,人として,愛し,愛される力ではないでしょうか。」

伝道とマネジメントスタイル

後に銀行業界で働くことになるなど伝道中には考えてもみなかったというバッジ兄弟。しかし帰還後,様々なキャリアを積み,2度にわたる日本での仕事も経験したバッジ兄弟は,株主の投資ファンドにヘッドハンティングされ,破綻した銀行を再生すべく送り込まれて来た。

その銀行には,何十年も前に作られた厳格なルールがあった。しかし,進むべき方向を指し示すビジョン(未来像)は存在しなかった。顧客のことを考えるよりもルールが優先され,ルールを守ること自体が目的と化していた。バッジ兄弟は伝道中,門限を守るかどうかで先輩と衝突した経験を思い出す。「わたしは帰る時間を守るというルールは守れませんでしたが,伝道を通じて一人でも多くの人に喜んでもらうという目的を果たすことができました。……だからこそわたしはルールにがちがちに縛られるだけのサービスではいけないと思うのです。」──バッジ兄弟はその古いルールを廃止すると宣言し,代わりに,「世界のどこにもないユニークな銀行を作ろう」というビジョンを掲げて人を募る。すると志に賛同する多くの優秀な人材が集まって来た。彼らとともに同じ理想,同じ価値観を共有し,リーダーシップチームを立ち上げたことで改革は軌道に乗った。

「(実社会では)ある面で人は給料をもらうために仕事をしています。でもそれがいちばん大きな動機だと,人の情熱が出ないんです。それがどういうビジネスであっても,給料はもちろん大事ですけど給料以上の目的,お金よりも意義のあるビジョンやミッション(使命/活動目的)がないと,人はベストを尽くしてくれないんですね。宣教師が,無報酬なのになぜ一生懸命働くのかといえば,(人々に神様の愛を伝え,人の救いに貢献するという)ビジョンとミッションが共通していて皆がそれを大事だと思っていたから,つまり証があったからです。だから社員に同じ情熱を持ってもらうために,リーダーとしてどんな意義を提示できるか考える必要があります。ただ単に,株主がお金持ちになるために頑張りましょうということではあまりだれも動かないんですね。」

バッジ兄弟がビジネスを成功に導く基本原則と考えるのは,まず人材,そして明確なビジョンとリーダーシップ,さらに社員間の信頼に基づくエンパワーメント(権限委譲)である。そのマネジメントスタイルには伝道中の経験が生きている。「宣教師として過ごした2年間は,人生で最も大きなインパクトを持つ2年間でした。このときの宣教師体験で得たものは確実に今につながっています。──チームで仕事をすること,自分を律すること,スケジュールを管理していくこと,コミュニケーションを大切にすること,相手の立場に立って物事を考えること,そしてルールに縛られて本質を忘れてしまわないこと……。」

バッジ兄弟自身,頭取になろうと思って人生を歩んできたわけではない。しかし,キリストを価値の中心に置き,夫として父親として,教会員また社会人として誠実にキャリアを重ねて今日まで来た。その影響力は,閉塞感の漂う日本社会で確かな存在感を放っているのである。◆