イエス・キリストならどうされるだろうか~石垣島の教会事始め~

イエス・キリストならどうされるだろうか~石垣島の教会事始め~

L・タッド・バッジ長老の伝道の最後の月,あるいは最後の週だったかもしれない。1980年12月,バッジ長老と同僚のスティーブ・ギルクリスト長老の二人は沖縄本島の西方約400キロに位置する,八重山諸島の主島・石垣島へと赴いた。伝道部長の命を受け,この地で伝道を始めるべく,教会の集会所兼宣教師アパートを探すためであった。「よく覚えていないけど月に4万円くらいの予算でした。」当時,仕事の転勤で石垣島へ引っ越して来た大山ご家族が島で唯一の教会員の家族だった。

島に到着したバッジ長老とギルクリスト長老は大山家族のもとに泊まって不動産屋を回った。けれども探しても探してもいい物件がない。たちまち滞在予定は終わりに近づくけれど,帰る前日の夜になっても決まらない。翌日の昼には石垣港を出航する船に乗らなければならなかった。大山兄弟は,もう探しても無駄だし,せっかく石垣島に来たのだから,明日の午前中,大山兄弟の案内で観光して帰ってはどうかと言ってくれる。

しかし,ただ見つかりませんでした,と伝道部長に報告するわけにはいかない。最後の日の夜が明けると,「見つけなくちゃ」との思いに駆られた長老たちは真剣に祈った。ふと思いついて地図を取り出し,それまでとはまったく違う発想で眺めてみる。それは予算から考えるのではなく,神様ならばこの島のどこに支部を置かれるだろうか,という観点だった。石垣市街の中心部には公園に図書館が隣接し学校も近い,文化ゾーンを形成している地域がある。若い人に伝道するならここがいいに違いない。地図に赤丸を付けた長老たちは大山兄弟に頼む。「ここに連れて行ってください」──大山兄弟は目を剥いた。そこは石垣市でも一等地,予算の何倍もの家賃が相場だったからだ。けれどもそこへ赴いた宣教師たちは,図書館の裏手の生け垣で祈ってから,残り少ない時間で物件を見つけようとはやる心で駆け出した。すると間もなく「貸店舗」と記されたビルの一室が目に留まる。尋ねると家主は石垣氏という地元の名士で,石垣氏の邸宅はその付近の映画館の隣であった。早速訪ねると,在宅していた石垣氏と会うことができた。二人は家に招き入れられ,こたつに座って石垣氏と向かい合い,「自分たちは宣教師で,教会の建物を探しています」と告げた。家賃を尋ねると案の定,予算とはかけ離れている。こちらの予算を聞いた石垣氏は,それなら映画館の裏の物件はどうかと言ってくれたけれど,見ると古くて汚く,しかも出入りするのに映画館の中を通って行かなければならない。とても教会として使える環境ではなかった。バッジ長老は,最初に見た物件を貸してくれないかと切り出した。「もし借り手が付かなかったらこの場所をどう使うつもりですか。」ただそこを遊ばせておくよりは,こちらの予算でも貸した方が良いのではないかとも思えた。すると石垣氏は答える。ほんとうはここで青少年のために英会話学校を開こうと思っていた,と。狭い島で,青少年たちがすることがなくて非行に走るといった現状を石垣氏は憂えていた。ところがなかなか適当な講師が見つからず,いっそのことゲームセンターにしようかと考えていたところだった。ほかで悪いことをするくらいならむしろ青少年がそこで遊んでくれた方がいい,と考えてのことだった。

「それならその場所でわたしたちが無料英会話をするならば,そこを貸してくれますか?」海外から来た宣教師たちがボランティアで講師を務めることなどを説明すると,石垣氏は当初の予算で貸すことを承諾してくれた。──「奇跡でした」とバッジ兄弟は振り返る。それまで何日も探し回って見つからなかったものが,予算の都合ではなく,イエス・キリストを中心に置いた視点で探したことにより,わずか1時間ほどで,しかも常識では考えられない家賃で島の一等地を借りることができたのである。二人の宣教師は時間ぎりぎりで使命を果たせたことに安堵しながら帰りの船に乗り込んだのだった。

それから25年を経た一昨年のクリスマスに,バッジ兄弟は家族を連れて石垣島を訪れた。図書館は当時のままであったが,映画館も石垣氏の邸宅もすでになく,別のビルが建てられていた。しかし尋ねるうちに,石垣氏がまだ健在でその付近に住んでいることが分かる。訪ねると,石垣氏は25年前に突然飛び込んで来たバッジ長老を覚えていてくれた。次の安息日,今は移転した石垣支部を訪問すると歓迎委員として彼らを迎えたのは意外にも大山兄弟であった。転勤での一時的な赴任のつもりが,この島が気に入りずっと住むことになったのだ。大山兄弟はバッジ家族を車に乗せて島の名所をめぐり,あのときし損ねた観光案内の約束を四半世紀ぶりに果たしてくれたという。◆