リアホナ2006年1月号夫婦の履歴書 主は道を備え,祝福を備えられる

夫婦の履歴書 主は道を備え,祝福を備えられる

── 病を抑える神殿奉仕の祝福~日本福岡神殿第一副神殿長岡田豊章・幸子ご夫妻~ 

福岡神殿の扉を開けると,目を輝かし意気揚々と歩き回る兄弟に出会う。岡田豊章第一副神殿長だ。半年に渡る癌の治療を受け,現在も通院し経過を観察しているとはとても思えない溌剌さだ。

──「非染色性の悪性リンパ腫(血液の癌)です。」2003年の8月初め,大分県立病院血液内科の診察室で主治医はこう告げた。戸外は夏の日差しにあふれ,蝉時雨がその生命を謳歌している。しかし独りで病名の告知を聞いた岡田兄弟の受けた衝撃は思いのほか大きく,帰りの風景もよく思い出せない。

それまでも,医師が癌の検査をしているのは素人ながら大体分かっていた。「先生,わたしはもし癌だったとしても,死ぬことはそんなに恐いと思ってないんです。それよりもこの世に生きている間にやりたいことが一杯あるので,あと3か月の命,と言われるのは耐えられません。どうか早い時期に教えてください。」そう前々から医師に告げていた岡田兄弟だったが,いざ現実に告知されるとなるとまた別だった。「自分の命に限りがあるということはうすうす自覚しているんだけれど,それにはっきりと向き合ったことはなかったんです。」

5年後に生存している患者の割合は70パーセント。もっと一般的な染色性悪性リンパ腫に較べれば生存率は高いものの,3割の人が死ぬという事実は岡田兄弟を打ちのめした。「真っ先に感じたのは,このままじゃ神様の前に立てんぞと。今は笑いながら言いますけどやっぱり深刻でしたよ。」──数日間,一人で気持ちの整理をした岡田兄弟は,自分の命をあと5年と区切り,その間に何ができるか優先順位を付けて余分なものは切り捨てることにした。もっとも優先すべきことは神様との関係。第2に妻,幸子姉妹への感謝と償い。第3に子どもや孫に自分の生き様を伝えること。第4に仕事。大学で教鞭をとっていた岡田兄弟は,それまで手を広げていた研究を整理し,経営工学という専門分野で自分独自の視点に基づく研究だけに絞ることにする。多くの思いを捨てたとき,岡田兄弟は平常心に戻っていた。

このころはまだ自覚症状もさほどない。学会発表と論文が終わり研究に一区切りついたころ,経営が悪化していた大学側から定年より1年早い退職の打診を受ける。余命5年と心得た身には「時間が欲しくてたまらんとき」でもあり,渡りに船と2004年3月の退職を決めた。

早期退職を聞いた主治医は,「そりゃあ良かった,じゃあすぐ入院しましょう」と畳みかける。夫の身体を案じていた元看護師である幸子姉妹も「これから腰を据えて治療が始まるんだなあ」と安堵する思いだった。けれども……「実を言うと退職したら,体が動く間に奥さん孝行しようと思っていた」という岡田兄弟は,主治医や幸子姉妹の思惑を尻目に,姉妹との時間を楽しもうといろいろな計画を立てていた。

そんな矢先の2004年4月,自宅の電話が鳴る。「今度の日曜日の午後一時半に奥さんと二人で福岡神殿に来てください。」徳沢清神殿長からであった。当時の地域会長であった菊地良彦長老が来られて面接するという。何かの召しだ,とぴんと来た。── 4月18日,二人は電車で福岡神殿に向かう。幸子姉妹はこう振り返る。「その召しが何か分からなかったから,『先生,入院するのをちょっと待ってください』って(兄弟は)願い出たわけです。電車の中で,わたしはもう夫婦伝道(の召し)だと思っているから『絶対行けない,だめよ』って,釘を刺しました。」家族が身体を心配してくれていることはありがたかったが,実は岡田兄弟の心はすでに決まっていた。

全部を御存じの主

若いころから長崎にある大きな造船所で仕事をしてきた岡田兄弟は,ある役職に就きたいという夢があった。やがて1975年に福音と出会い家族で改宗する。その3年後,後に本社の役員となる上司からこんな誘いを受けた。──「岡田君ねえ,新しい信仰を始めて酒を呑まんちゅうのはまあ立派だが,3年たったからもうぼつぼついいんじゃないか。酒呑んでくれたら,君には働いてもらいたいポストがいっぱいあるんだよ。」──「もちろんお断りしたんですよね(笑)。これは人との約束じゃなくて神様との約束ですから,それはできません。ご厚意はありがたいのですが,わたし一所懸命やりますから,酒呑むのだけは勘弁してください,と。」5年後,7年後,同じ誘いがあるたびに断り,そして10年後の1985年,目標の役職を目前にして大分の大学へ出向を命じられる。「民間企業の一ビジネスマンが,大学教授という考えてもいなかった職にぽんと就くことになって……失意落胆して大分へ来たんです,左遷されたと。」

福音のための左遷,そう思って一時,「神様に背を向けて拗すねていた」という岡田兄弟。しかし謙遜にさせられ,一からやり直すつもりで信仰生活を歩み始めたとき,思ってもみなかった幸せな人生が開けてきた。学生に囲まれての仕事も思いのほか体質に合っている。物質的にも霊的にも祝福を受け,それは結果的に「第二の改宗」とも言える経験だった。

出向を命じられる前年の1984年夏,岡田兄弟は郷里の松山に向かうため,長崎から大分県臼杵に向け,国道57号線を車で走った。臼杵からは四国へ渡るフェリーが出ている。「道を地図で調べながら,もうこういうところに2度と来ることはないかもしれんと思って。──まさか半年後に大分に来ることになって,(地方部の責任のために)この国道57号線を熊本に向かって数え切れないほど走ることになろうとは夢にも思わないでしょ。そんなふうにね,人は自分の半年先のことすら何も見えていないわけですよ。わたしのことを御存じの主がわたしに何か召しがある,と。わたしを必要としてくださるのであれば,神様は必ず,どんなに病気であっても御存じのはずだから,道を備えてくださるに違いない(1ニーファイ3:7参照)。では,どこに断る理由があろうか。もし断ったら,わたしはもう,現世を去った後までずっと悔い続けなければいかんだろうという気持ちでした。」そんな兄弟の気質をよく知るからこそ,家族はよけい心配している。夫婦伝道は妻の同意がなければ成り立たない。姉妹に「うん」と言ってもらえる自信は岡田兄弟にはなかった。

「福岡神殿第一副神殿長・メイトロン補佐」──菊地長老に告げられたそれが“召し”であった。「実はこの人は癌で……」幸子姉妹が事情を話すと,菊地長老は穏やかに言う。「召しは強制ではありません。どうぞご夫婦で祈ってよく話し合ってください。」

部屋を出た二人はバプテスマフォントに向かった。安息日のこととて,だれもいないフォントの傍らにひざまづき,それぞれに心を注ぎ出して主に祈る。心は決まっていたが確認したいという気持で祈った上で,岡田兄弟は初めて姉妹に「受けたい」と自分の気持ちを言葉にした。

「そのとき家内は,『あなたはいつもそうだから。わたしの意向なんか考えない』って。で,ちょっと涙流しました。でも結局は,ぼくについてくるって言ってくれました。」「やっぱり夫と同じような気持ちになったんですよね。祈っているときに平安な気持ちになったんです。」

影よりも光を見据えて2004年4月末に召しを受け,神殿に着任してからすぐに体に変調が表れた。食欲不振と体重の減少,下痢と便秘を繰り返す。首の両側のリンパ節が見て取れるほどの勢いで腫れ始め,ワイシャツのボタンも止められない。主治医に話すと即,入院と言われ,9月の神殿の休館期間にあわせて大分に帰り入院する。

検査の結果は,「消化器全体にわたって腫瘍無数」。あちこちのリンパ節も腫れ上がっていることが判明し,8回クールにおよぶ抗癌剤治療が始まった。そのうちの1回を入院中に,残りは福岡神殿で奉仕をしながら3週間に一度,大分の病院に通って治療を続ける。

神殿での暮らしは──「皆さん方に奉仕する,それが神様にお礼申し上げることだと思ってそのようにしますと,神様はそれ以上のものをまた下さるんです。わたしの健康の祝福,夫婦の間の平安と満足感,毎日の新しい証……世の中にこんな生活があったのかと思うほどの生活ですよ,神殿で働くというのは。」

小神殿における神殿長会は特に忙しい。「忙しい最中に,ちょっと(儀式の部屋)へ行ってみなきゃという気持ちになるときがある。入っていったら奉仕者の兄弟がふり返ってにこっと笑い,『すみません,英語(の儀式)なんです』──わたしがそこにいなければいけないとき,御霊が呼んでくださるという経験はしょっちゅうあります。神様は全部見ていらっしゃるね,今何が進行しててどうなっているかを。」

「苦しいときにはヨブ記を読むんですけど,あの中の一断面だけを取ったら,犠牲になって死んでいったヨブの子供たちは一体,どうなるんだろう? という気持ちになるじゃないですか。でも多分それは神様の御手の中にあって,きちんと神様は考えてくださっていると思うんです。

全体を通して見たときには,ヨブは結局,最後に祝福を受ける。」岡田兄弟はそれを光(祝福)と影(試練)の関係に譬える。

2005年4月に,8回目の抗癌剤治療が終わった。その結果は──「腫瘍はもう,見違えるほどきれいになっています。」

「(完治)とは言ってないです。……腫瘍マーカーも正常値よりは高い。それは確かだけれど,それをぼくは影の部分と言っている。人はどちらかというと影に目が向く傾向にあるんだけれども,光の部分をしっかり見据えていけば,あまり影の部分は気にならなくなるんだね。

(ヨブのように)その現象だけを見れば,人間には分からない部分がありますよね。

でも,神様が祝福を下さるにはいろいろな方法があります。一人一人のことを,その人の過去から現在,未来全体にわたって神様は見守っていらっしゃって,祝福してくださっていることを,ぼくは皆さんに信じていただきたい。」

岡田ご夫妻は,病気と上手に付き合いながらも,平安と喜びを参入者と分かち合うべく今日も神殿で働いている。◆