ビジョンと霊感に基づいて行動する

ビジョンと霊感に基づいて行動する

─エリアビジョンの動詞 地域会長会第一顧問 山下和彦長老

「エリアビジョンのキーワードは,一つ一つの全てが,非常に力強い動詞によって作られています。 大管長会や中央幹部がいろいろな場で強調してこられた言葉であり,預言者たちが,すなわち神様がわたしたちに今,求めている行いがこれらの動詞に集約されています。


ビジョン=行いの結果を「見る」こと


ただ目標を掲げるだけでなく,実際に行うことが大事です。 こういうふうになりたいと『思います』じゃなくて,『します』。 『愛します』『高めます』『シンプルにします』……そこには決意と信仰が含まれます。


実際に行動したあとの結果が見えてくる,これが本当の意味でのビジョンです。互いに愛し,高め,シンプルにしている姿を,そういう具体的なイメージを見ることが大事ではないでしょうか。 エリアビジョンに取り組み,行動することによって,自分が,家族が,ユニットが,どう変わっていくのかを見てほしいです。 そうすれば,実際の,実体のある結果が出てくるのをわたしたちは見られるのではありませんか。



自分自身について深く考え,イメージする,瞑想する,それはすごく大事なプロセスです。 『何を愛するの? どのようにして?』



『高めます』にもいろいろあります。仕事の能力を高める,学生なら学習能力を高める,キリストのような人格を高める……自分のことだけではなく,人の価値を認めて,人々の前で褒める。 人の長所を挙げて感謝する。するとその人は自信を持ち,さらに次のステップに行けるようになる,これも高めることですよね。 何かを高めている自分を絵としてイメージする,そこにまた喜びを見いだすことができます。



聖徒となるイメージ


個人が受ける啓示はわたしたちにとって本当に大切で,常に求め続けるものです。 そのために,祈りや瞑想は不可欠な必要条件でしょうね。 日常の中で,へりくだり,ひざまずき,日々の感謝を伝え,わたしたちが思っていることを全て隠さず何でも天の御父にご報告をするということの中で,わたしたちは小さな個人的な啓示を常に受けているのだと思います。

でも,求めない限り与えられない。 これは絶対的な公式です。 ですから,(個人の啓示を)常に求め,受け,それに従う,そういう一つの流れ,プロセスを繰り返すことによって聖徒になっていく。 これが,信仰を使い続けるということです。

聖徒となるとは,より霊的な人になること。 そう解釈してわたしは宣教師たちに教えてきました。 いつも御霊がともにあり,いつも御霊を招き,御霊を求め,御霊に従うことのできる人。 これが,より霊的な人であり神様に近づいていく人だと思うんですね。

わたしたちの努力と,イエス様の贖い,また贖いの中の能力を授ける力,この力を通じて神様に近づいていくことができる。

そのために何ができるのか。 何をしたら御霊を招くことができるのか。 逆に言えば,何をしたら御霊が去っていくのか。 何をしたら,御霊から離れた霊的でない生活になってしまうのかを,少しだけイメージしてみてください。


霊的な強さを保っている人の特徴はどのようなものでしょうか。 霊的だからといって,常に真剣で笑顔もなく一心不乱に何かにだけ集中している,というのはちょっと違うと思います。 いつもポジティブ(肯定的)な考え,発想。 ポジティブな姿勢,言動。


美しい音楽のように,本当に霊が躍る,喜ぶ。 皆で喜びを分かち合って笑う。 笑顔が絶えない……イメージできましたか?」
贖いの力を受けるある日曜学校のクラスで贖いについて教えられたとき,一人の会員は,「これまで贖いの力を感じたことは一度もない」と言ったという。 教師は忍耐強くこう語りかける。



「あなたは罪を犯したことがありますか?」彼は答える。「もちろんあります。」


「罪悪感を感じましたか?」「はい。」
「今もその罪悪感が続いていますか? もし,人生で感じる罪悪感が一切消えずにずっと積み重なっていくとしたら,どう思いますか?」……彼は少し考えてから,声を上げた。 「贖いの力を毎日感じています!」



山下長老はこう続ける。「イエス・キリストの贖いという大きな祝福,その存在をわたしたちは決して忘れず,日々それを感じることが大切だと思います。
そしてそれは,そんなに難しいことではありません。 宣教師は贖いの力を頻繁に感じます。 なぜなら,自分の弱さを思い知らされる場面がいっぱいあって,信仰を使わなければいけない状況がしばしば生じるからです。 わたしたちも同様に,深く考え,謙遜になり,自分の弱さを主の前に表すときに,イエス・キリストの贖いの力をたくさん感じることができます。 聖餐会のときも,イエス様と向き合うことによって贖いの力をいっぱい感じられると思います。 そして贖いへの感謝の気持ちもひときわ大きく膨らむ。 そのときにこそ,決意を新たにすることができるのではないでしょうか。 聖餐は,わたしたちが次のステップ,改心の道を歩むステップの中で,わたしたちを成長させ強めるためにとても助けになると思います。
終わりまで行動し続けるサイクル教会に行き続ける,神殿に行き続ける,
人を助け続ける,支え合い続ける,愛を示し続ける……その行いを「続ける」というのが大きな鍵となるとわたしは思うのです。 すなわち,信仰を使い続ける。 それが,終わりまで堪え忍ぶ※ 1 ということです。
行動をイメージする。実際に行う。 その結果を見る。 見たものを振り返ってよく瞑想する,祈る。 そこに次の行動のイメージ(ビジョン)が見えてくる……それを繰り返すサイクルの中に,個人の啓示や,イエス・キリストの贖いの力が来ます。 終わりまで堪え忍ぶという行いの本質がそこにある。 そうわたしは思います。
大らかに始める最初は,達成できる小さな目標を持って,小さな達成感を味わうことが必要かもしれません。それを繰り返すうちに,わた
したちの成長に伴って自ずと,すること=行動に質的な変容が起こるのではないでしょうか。─会員伝道にしても,最初は口を開くことができない人もおられると思うんです。 人の家を訪問するなんてとんでもない。 それはそれで別に責めるべきことではないんですね。 お店で店員さんに言葉をかける,そんなところから気軽に始めていただいても神様は非常に喜ばれると思います。その人自身にとっても喜びとなり,その人の成長にも益になる,十分価値のあることだと思います。
わたしたち夫婦は,バプテスマには至っていないですけれど,いっぱいトライアル=実験をしています。 例えば,タクシーの運転手さんとは必ず話します。お店に行ったら,店員さんに声をかける。 必ずパスアロングカードを渡す。 わたしたちは今まで拒否されたことがありません。必ず受け取ってくれて感謝さえしてくれます。 試してみるには格好の場所です。 そんなささやかなことに喜びを見いだしてもらっても,わたしは全然悪くないと思います。 こと,会員伝道については,わたしたちはもう少し大らかになった方がいいと思います。 笑顔で,口を開いて,心を開いて,お招きして,わたしたち自身もハッピーになる。 相手がどうなるかは彼ら自身と主にお任せする,というのが本当の成功ではないでしょうか。










スーパー宣教師の本質


かつて,300人もの改宗者を導いた伝説の姉妹宣教師がいました。 彼女も最初は労して求道者を探していましたが,伝道の途中から一切,探さなくなりました。 彼女が見いだした方法は,レッスンが終わってから,求道者に友達を連れて来る方法を一所懸命に教えることでした。そうするうちに,求道者たちが彼らの友達をどんどん紹介して連れて来るようになったので す。そして友達が来たら,精いっぱい歓迎することに力を注ぎました。
ただしこれは,ノウハウやマニュアルではないんです。 わたしが名古屋伝道部会長だったとき,宣教師たちにこの姉妹宣教師の話を何度も伝えましたけれど,同じようにできた人はいません。人の手法から学べるものがまったくないわけではないですが,その核心,本質は何かを考えなくてはなりません。彼女は本当に考えて考えて考え抜いて,断食して祈って,そして決意を新たにして行ったのです。 信じて行った,その結果ですよね。 神様に対する決意の度合いが非常に強く深かったということだと思うんです。
その姉妹とわたしたちは別の人であって,わたしたちにはわたしたちの啓示があり,方法があります。そこから本当に何を学べるかが大事なのですね。
一方,良いものは徹底して全部まねしてみるというのも一つの方法です。預言者が勧めてくれたことをとにかく片端からやってみる,行動してみる……まさにトライアルです。それだって本気でやったら,何かが見えてくる,何かが変わってくる,自分も変わるのではないでしょうか。そこから自分独自のものが,ひょっとしたら生まれてくるかもしれませんね。」◆